99.4.24の独り言

 前回からの完全なる続き。出だしが意味不明の方は、前回の独り言の最後の部分だけでも読んで頂けると有り難い。

 ・・・という訳で迎えた13日の火曜日、ポートランドでの最後の朝。眺めのいいホテルの部屋のカーテンを開ければ、表はとってもいいお天気。気を取り直し、元気を出して行こう(^^...♪ ホテルはチェックアウトしてしまった。夜まででも待てるよう、車はパーキングメーターではなく近くのビルの駐車場に入れる。

 昨日も訪れた、Portland State Univ.(PSU)の彼のオフィスを再度訪問。昨日、話をしたオフィスの人によれば、彼は昨日は現れなかったとか・・・。「はて、ここで待つか。外に出て、この人に1時間ごとに電話を入れるか・・・」などと考えながら話していたところに・・・探していた人が現れたのである♪

 その人の名は、そう「ジャンボ鶴田」こと、鶴田友美さん。彼は3月半ば、運動生理学の研究のためにPSUにやってきたのだ。実は鶴田さんと私とは、ほんのわずかな接点があった。鶴田さんがまだ日本にいた時、『ニューヨークにいるプロレス好きの雑誌記者が、4月頃に取材したがっている』という話だけは、一応伝わっていた。以来1ヶ月余、「一応、話は通ってるし(^^ゞ...」という拡大解釈のモト、私は事前に何の連絡もせずにPSUまで押し掛けてきたのであった。

 ・・・簡単な挨拶の後・・・(お会いしてから、まだ3分も経っていない)
鶴田さん「(確信を持った口調で)じゃ、パソコン、詳しいですよね(^^...」「これから大学の担当者に自宅からインターネットするための説明を聞きに行くんで、一緒に行ってもらえますか?」「あ、それと(机の上のデスクトップ機を指して)これも日本語のシステムに入れ替えようと思って、ちょうど今日、ソフトを持ってきてるんですよ♪」

 かくして私は、日本から持ってきた自分のノート機を持った鶴田さんと一緒に、大学内をあっちこっち歩き回り、いろんな人にいろんな話を聞くことになったのであった。うぅ〜ん、なんかよくわからないけどラッキー(^^...♪(この件はさんざん時間と労力を使った挙げ句、外部から大学にダイヤルアップするための手続きも面倒で時間がかかるし、方法もターミナルウィンドウを呼び出してログインしなければならないし、回線が1本しかなくて話し中が多いそうだし、何より大学のメールアカウントは2バイト文字が通らないかもしれない、ということで、「普通のプロバイダと契約した方が早いですね」という結論に達した(^◇^ゞ...)

 さてさてオフィスに戻った鶴田さん、妙に嬉しそうに「さて、じゃぁ今度はこっちをやりましょうか(^^...♪」とデスクトップ機を指す。HDDを初期化してしまって構わないそうな。
私「あ、このマシン、メモリが足りなくて日本語のシステム入らないですよ」
鶴田さん「じゃ、(この建物の)下に本屋があるから、買ってきてもらえますか? 100ドルあれば、足りるかなぁ」
ドライバがないと開かない機種であること、オフィスにはドライバがないことを確認して、メモリ購入のついでに自分の車までひとっ走り、ドライバも取ってくる。

 なんだか本当によくわからんが、絶妙なタイミングで現れた便利屋と化している(^◇^ゞ...! もちろん、自分のオフィスで理不尽さと怒りを感じながら他人が使うマシンをメンテしている時と違って、「鶴田さんのためなら喜んでお役に立ちましょう(^^...♪」

 ところで、「一応」取材に来ているので、雑誌に書けるような話も聞かなくてはならない。そこで私は、マシンの設定をしながら質問もすることにした。これが良くなかった。頭がどうしても、鶴田さんかマシンか、どっちかに行ってしまう。マシンに割り当てられたIPアドレスを書き留めるのを忘れて初期化を始めてしまった(_ _;;;...。それに気づいた瞬間、頭の中が白くなり、取材はしばし鶴田さんの独り言(?)と化した(_ _;;;...。録音していて、本当に良かった。(IPに関しては、何百台、下手したら何千台のマシンがある大学内で、ランダムにIPが振られていることは考えにくい、という勝手な判断から、同じオフィスの他のマシンと近い番号をいくつか試す。3度目くらいで、だぶっていない番号をみつける。「日中だから全部のマシンが起動している」という、これまた勝手な解釈のもと、その番号に設定してしまった。万が一、たまたまその時に起動していなかったマシンに同じIPが割り振られていたらゴメンよ・・・)

 この間、鶴田さんは会議に出たりもしていたのだが、鶴田さんが帰宅しなければならない時間になってもデスクトップ機の設定は終わりそうもない。私は設定を終わらせてから鶴田さんのお宅にお邪魔することになる(^^...♪ とってもラッキー(^◇^...♪

 ところで、鶴田さんの奥さんが美人だとは聞いていたが、本当に美人である。ケバい感じの美人じゃなくて、ナチュラルにきれい。会話から推定される年齢より10歳は若く見える。詳細は省くが性格がとっても素敵な方で、ちょっと感動した。さらにお宅に伺った際、どこぞのメディアで読んだ「美しい奥様とかわいいお子さんたちに囲まれ」という表現は、決して誇張ではなかったことを知る。

 夕食までの間、鶴田さんと、取材とも個人的趣味ともつかぬ会話をたっぷり楽しむ。鶴田さんも、私が根っからプロレス好きであることを十分に理解してくれた様子(^^...。
鶴田さん「ところで、全日と新日とどっちが好きなの?」
私「子どもの頃はどっちということもなかったんですけど、ここ10年くらいは新日」(心の声『どうしてお前はそんなに素直なんだよ?! せめて「両方好き」とか、言えないのか?!(_ _;;;...』)
私「いや、馳さん(国会議員。元、新日。現在、全日にスポット参戦)が好きだったんですよ(^^ゞ...」(心の声『全然、フォローになってない(_ _;;;...』)

 ひと通りの質問が終わったところで鶴田さん、嬉しそうに自分のノート機に両手を添えながら、「さて、じゃぁこっちの方も片づけちゃいましょうか♪」。プロバイダに申し込むならオンライン登録が早いので、車に自分のノート機を取りに行く。(心の声『やべっ。壁紙が猪木さんだよ(_ _;;;...』)
鶴田さん「(私のノート機の壁紙の猪木さんアップ写真を眺めながら)馬場さんと猪木さんと、どっちが好きなの?」
私「・・・・・(さすがに絶句)」
鶴田さん「そりゃ、猪木さんだよねぇ。だって実際に会ったんだもんね」(心の声『もちろん馬場さんも好きです、大好きです。でも「どっちが」と聞かれたら・・・(_ _;;;...』)
自宅のデスクトップ機のように、起動時に「あぁ〜んとぉにぃ〜おぉ〜、いぃ〜のぉ〜きぃ〜」とコールする設定にしておかなかったのが、せめてもの救い(・・・になってない)。

鶴田さん「(自分の本を2冊、棚から取り出し)どっちかプレゼントしますけど、どちらがいいですか?」
私「いやぁ・・・両方とも欲しいですねぇ(^^...♪」
もちろん、2冊(「ジャンボ鶴田のナチュラルパワー強化バイブル」と「ジャンボ鶴田・第二のゴング」)ともにサインをして頂いて来た♪

 冷静に考えると私って、むちゃくちゃ厚かましいというか、図々しいというか、失礼なヤツかもしれない(_ _;;;...。

 ここで、ご近所でほとんど唯一の日本人だという方が、タイミングよろしく大量のおにぎりの差し入れを持って登場。とりあえず1つ、私もご相伴にあずかる(^^...♪

 鶴田さんのプロバイダ登録&マシンの設定が無事に終了し、接続&メールの実験も済んだところで晩ご飯。「日本風のカレーライス、懐かしいでしょう」ということで奥さんが作ってくださったカレー、お子さんもいらっしゃるので甘口だった(^^...♪ 自分で作るカレーよりはるかに美味しかった。がはは(^◇^ゞ...!(以来、自分でカレーを作る気が失せた私) カレーとおにぎりってのも不思議な組み合わせだったが、たらことか鮭とか、普段自分で作るおにぎりには絶対に入れられない具がとっても嬉しい(; ;...。

鶴田さん「日本にいた時、(新日の)橋本が3軒くらい隣に住んでたんだよ」「あいつが裸で車、洗うんだよね。近所の人に評判悪くてさぁ、醜い体見せるなって」
私「がはは(^◇^ゞ...!」

鶴田さん「馬場さんが『う〜ん』って考えて、『あぽーっ』って言いながら・・・」
私「・・・(結構、真面目に頷きながら聞いている)」(心の声『本当にそんなこと言うのか?!』)
鶴田さん「いや、冗談だけどね」
私「・・・・・・・・・・(_ _;;;...」

鶴田さん「彼女、本当にプロレスラーに向いてるね♪」(これは日中から、会話の合間に何度も言われていた(^^ゞ...)
私「あと15年若かったら、是非とも弟子入りさせて頂くところなんですが(^^ゞ...」

 帰りには「これからサンフランシスコまで再び1000キロのドライブ」ということで、道中のおやつに果物やおにぎり、ジュースなどを持たせて頂いた(^^...♪ 最後は鶴田さんに車が走り出すまで見送って頂いて、ああ幸せ♪



 約束もなしにおもむろに現れたというのに、今思い出しても夢のように素敵な出来事であった。

 鶴田さんはとにかく陽気。大学内でも、1度会ったことのある相手には「陽気なアメリカンもたじたじ」の大げさなジェスチャー付きで挨拶している。もちろん体は大きいし声は元気。明るい豊かな表情。声をかけられた相手は、内心「謎の巨大なオリエンタル」と思いながらも、絶対に鶴田さんに好感を持つことだろう。

 鶴田さんは、言うまでもなく有名人だ。渡米後は、きっと誰かが日本語で丁寧に面倒を見てくれているのだろうと思っていたが、そうでもないらしい。住居も、あえて日本人の少ない場所を選んだという。勝手知らぬ異国の地で、小さい子どもまで抱え、銀行口座開設から車の購入から子どもの学校探しから、いろいろと本当に大変だったと思う。あれだけの知名度を持つ存在でありながら、しかも結構な歳になってから、これだけのチャレンジができるなんて本当に素晴らしい♪

 しつこいようだが、鶴田さんの陽気さと前向きさはまったくすごい! 昔からそういう人なのか、様々な苦労を経て会得した生き方なのかわからないが、すごいことだけはたしかである。やってることが派手(?)な割に、実は結構根が暗い私としては、とっても羨ましかったりした。

 次回はポートランドを出てからのお話。しつこく出張ネタを引っ張ってすいませんm(_ _)m...。次回こそ、本当に終わります(^^ゞ...。

☆このときの鶴田さんインタビュー記事はこちら


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