人生とはなんと不公平にできているものなのかと思う。少し前にも、ある出来事について同様の趣旨で書いたけれど、今回は比べものにならないくらいやりきれない気分。
中学3年の時、みんなが非常に仲の良いクラスに所属していた。私も含めて女の子8人で特に仲が良かった。卒業してからも、よく集まった。約半年ごとに集まっていた時期もあれば、何年か空いてしまったこともあったけれど、いつも笑っちゃうくらい出席率がよく、笑っちゃうくらいみんな変わっていない。
私は渡米して以来、しばらく集まりに参加できずにいたのだが、今年の正月に久々に顔を出した。オランダ在住の1人を除き、ちゃんと7人が集まった。みんな本当に変わっていなかった。昔っから飲むと泣く彼女は、相変わらず泣き上戸だった。昔っからよく飲む彼女は、「こないだダンナのお父さんとイッキ合戦やっちゃってさあ、覚えてないんだけど。結婚○×年目にしてダンナに寝ゲロ片づけさせちゃったよ」などと言っていた(決して自慢できる話ではないが、幸せだからこそ笑って話せる)。いい年して相変わらず飲んでよく記憶をなくしている私としては、なんか非常に安心した。
正月に欠席した、夫の駐在で長くオランダに住んでいた1人も、春に日本に戻ってきた。(私が日本に行く)今年の夏には本当に久しぶりに8人全員集合だね、なんて話していた。
この彼女とは、99年にオランダで会っている。アムステルダム近郊の彼女の家に泊めてもらった際、小さい子どもが3人いて家を空けられない彼女に代わって、彼女の夫が市内を案内してくれた。
本人に聞いたわけではないから本人がどう思っているか知らないが、傍目に、彼女は決して順風満帆な人生を歩んできたようには見えない。「運がいい」ほうに分類される人生ではないと思う。実はこの時も、彼女の身内の不幸の直後だった。しかし、子煩悩そうな夫と可愛い子どもに囲まれ、彼女は幸せそうだった。家族5人で実に楽しそうだった。この家族がいれば彼女は大丈夫だなと、勝手に安心した記憶がある。
先日、8人の中の1人から、彼女の夫が交通事故に遭い脳死状態だという話を聞いた。非常にショックだった。彼は自転車、相手は車だったそうだ。
欧米に長く住んでいると、日本の道路が車優先なのに驚く。私も昔はそんな運転をしていたのだろうが、車は実に横暴だし、歩行者もそういうものだと思っている。こちらが車を停めて道を譲っても、歩行者や自転車は先に行こうとしない。彼女たち家族もオランダ在住が長かったので日本の感覚を忘れていたのか、とにかく日本に帰って来るなり・・・である。事故なんてすべてそうなのだけれど、それにしてもそんな時にそんなところにいなければ、こんなタイミングで日本に帰ってさえ来なければ、などと考えずにはいられなかった。
脳死と聞いた時は、身近で初めての例だったので亡くなった以上にショックなような気がした。しかし、事故から20日後に亡くなったと聞いたときは、当然なのだが、もっともっとずっと悲しかった。何日か、涙が止まらなかった。
彼のことを直接知っているといっても、2〜3回会ったことがある程度である。泣きながら、どうしてこんなに悲しいのだろうと考える。彼が亡くなったこと自体がもちろん悲しいのだけれど、どうして彼女がこんな目に遭わなければならないのか、と、やり場のない怒りとやるせなさで涙が止まらない。オランダで見た幸せそうな様子が何度も浮かぶ。自分になにができるだろうといくら考えても、できることがなにもないのが一番悲しくて悔しい。自分はなんと無力なのだろうと思い、やるせなくて空しくて涙が止まらない。
引き合いに出すこと自体が筋違いなような気はするが、幼い頃からとっとと死ねばいいと思い続けた私の父は、今でも生きている。たかが人間が他の人間に対して、生きる価値がないとか死ぬべきだとかは決して言えない。しかし、生きていても周りの誰も幸せにしない人間というのは、確かにいる。そういうヤツに限って、なかなか死なない。それなのにどうして、愛され、必要とされている人が、とっととこの世を去って行かねばならないのか。
人生とは、どうしてこうも不公平にできているのだろうか。
これまで改めて考えたことなどなかったが、今回の件で、私は彼女のことを本当に心から大好きなのだと気付いた。もちろん彼女1人ではなく、他の6人に対しても同様である。
みんないい年になり、それぞれの人生を生きている。年がら年中連絡を取っているわけでも会えるわけでもないけれど、本当に大切な、かけがえのない人たちなのだと思い知った。私は死ぬまで、彼女たち7人のことを愛している。
ふと考えてみる。なにがあっても信頼できる、死ぬまで大好きだと断言できる友達は、他にも何人かいる。そして、私は幸せだと感じる。
死ぬまで愛し続けられると自信を持って言える友がいる。私は幸せである。