98.9.28の独り言

どうにもならないこと その1

 少し前になるが、明け方近くまで飲みながら、ぐたぐたといろいろな話をした。飲みながらの会話だ。誰も、それほど筋道立った論理を展開した訳ではない。話もあちこちに飛ぶ。話した内容が思い出せないほど飲んだ時は、自分が何を話したか心配になる。思い出せる場合には、どうも自分の言ったことが断片的で、誤解を招いていないかと心配になる。

 しらふで考えたところで、やはり思考はあちこちに寄り道し、なかなか簡潔な文章にはならない。しかし、数ヶ月前からずっと、自分の中でどうにかまとめたいという思いがあった。書き出すのに、多少の気合が必要だ。「どうにもならないこと」なんて漠然としたタイトルは、自分に対する逃げである。

 はっきり言えば、タイトルは「差別と偏見」にすべきだ。

 何故にこうも筆が重いのか。いつも頭の中ではいろいろ考えているくせに。言いたいことがありすぎる。文章の未熟さから誤解を受けるのが怖い。故意か無意識か、内容を取り違えたり、木を見て森を見ぬ反論があった場合、それに応えるには相当なエネルギーが要ることは容易に想像できる。さらに、内容が内容だ。うかつな表現はできない。

 前述の飲み会で話した方々の中に、日本で会社員をしている女性と、シリコンバレーで働いている日本人プログラマーの方がいた。彼女は女性差別を感じたことがないそうだ。プログラマーの方は日本人であることによる差別を感じたことがないと言う。まず、第一にこの2人はラッキーである。もちろん、本人たちの性格や人間的魅力、仕事の能力によるところも大きいだろう。しかし、やはりこの方たちは運が良い、といって語弊があれば、運が強いのだ。

 実力のある人間が差別を受けないのはわかる。しかし、運や巡り合わせが悪かったり、また活動分野によっては、実力があっても差別される。理想は、実力に関わらず差別されないことだ。もっと言えば、実力がなければ男でも白人でも同様の差別を受けるのならいい。実力のない女だけが、実力のない有色人種だけが、差別されるというのは全くもって納得できない。現実には、本人の中身に関係なく、多くの場面で差別され、偏見で見られている。ここで言う実力とは、分野を限った話ではない。性質や人間性、仕事の能力など、多くの要素を含む。

 たとえ一部に差別を感じない人間がいたとしても、差別があることは歴然とした事実である。特に一生懸命探さずとも、差別の事例はたやすく見聞きできるだろう。それを自分に関係ないと思うか、いつ自分の身に降りかかってくるかもしれないと思うかである。

 これ以上書くと、脇道に反れて行きそうだ。まだ前置きしか書いていないくせに、既に1回目にして苦心惨憺。しかしめげずに、次回は「意識・無意識」について、と予告しておけば、少しは頭も整理されるだろうか。


 フジサンケイグループは基本的に好きなメディアではない。
 ところで最近、ビデオの合間に見かけるフジテレビの謎のCM。アニメのイルカや鯨や亀が登場する。
 中で、ピンクのイルカが登場するものがなんかいい。このイルカ、「僕だけピンク、素晴らしいのだ」と言う。制作者の意図は不明だが、「他人と違うことは素晴らしいこと」である。


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