98.8.23の独り言

 やっと夏休み後遺症から抜け出しつつある。日本で19泊(変な表現(^^ゞ...)しながら、家族と夕食を食べたのは帰国前夜だけだった、という夏休みが、どんなに楽しくって幸せだったかなんて他人が聞いても面白くも何ともないであろうため割愛。とにかく寸暇を惜しんで遊びまくり、ロクに眠らずとも元気いっぱいだった。

 しかしまぁ、自分の雨女ぶりには今さらながら呆れた。日本に到着した日はどんよりした曇り空、実家の最寄り駅に着いた瞬間に激しい雷雨。いきなりずぶ濡れになって帰り着いた。滞在中の東京は、まるで梅雨が続いているかのような空ばかり、夏らしい青空は最後の日曜日にしか見られなかった。新幹線に乗れば、名古屋も雨。大阪で晴れたと思いきや、数時間後に雨雲に追いつかれてまたもずぶ濡れ。海に行けば昼から急に雨。浜に流れるFMではDJが「今日の降水確率は0%だったんですけどねぇ」なんて言ってる。すいませんねぇ(_ _;;;...。ニューヨークへの帰りも、私が乗った飛行機が着いた途端に乗り換えのソウルの空港では雨が降り出し、帰り着いたニューヨークも豪雨で出迎えてくれた。

 帰って来れば、当然のことながら会社でも自宅でも郵便物が山のように貯まっている。大量の請求書に小切手を書きまくり、支払い期限が過ぎている公共料金には小切手の日付を早めて書く(^◇^ゞ...! 勝手に自動引き落とししてくれよ、不便だなぁ、もう!

 どうやら私の帰国に合わせて涼しくなってしまったらしいニューヨーク、最初の夜は寒くて目が覚め慌てて布団をかける。朝、家を出た瞬間、思わず「寒ぅ〜」。暖房が欲しいくらいなのに、機能的に融通が利かないため寒くて不快な会社の冷房。最初は東京でも用心して上着を持ち歩いていたが、数日後に馬鹿らしくなってやめた。冷房が寒いってことは、東京ではなかった。外の湿気が半端じゃないから、ちゃんと除湿してくれる東京のエアコンは記憶にあるよりはるかに快適だった。しかし、天気が悪くても超蒸し暑い東京は異常だ。一回、東京の電気を全部止めたらいい。絶対に涼しくなる。と言っても、私は暑い分には全く元気なのだが。ビールもうまかったし(^^...。

 「おせんべい」が好きだという弁護士にお土産を持って行き、秘書に渡す。数時間後に、私の留守中にとっくに完成して移民局に提出されているハズの、私の永住権取得関連の書類が届く。ったく・・・誰も催促しないもんだから忘れていやがって。付け届けは大切だ。

 アメリカの美容院に行かないため、日本で短く切り溜め(?)した髪の毛。すっかり頭が涼しくなったし、東京では湿気のお陰か、はねることは全くなかった。ニューヨークは乾燥(・・・してないんだけど、東京と比べたらやっぱり乾燥している)しているため、はねまくる(_ _;;;...。

 美しい日本の電車に乗った後で、改めて小汚いニューヨークの地下鉄。前から疑問に思ってたけど、何でここの連中ってドアのとこに立つ時、誰もが見事に内側を向いて立つんだよ?! 混んでる時なんか嫌でも接近せざるを得ないのに、気持ち悪いじゃないか! 自分以外に横向きや外向きに立っている人間を見たことない。敵に背中を見せるなってことか?

 町中で見かける小錦たち。さすがに日本では、こういう人は見なかった。他のアメリカと比べて、ニューヨークの人たちは平均的に断然痩せてるけどさ・・・。

 日本で買った袖なしのワンピースなんて、一体いつ着るんだ? 大体、夏でも冷房が寒いし、皆のどうでもいい格好を見ているとおしゃれしようなんて気もさらさら起きない。来年の夏休みにまた日本で着よう。アメリカに旅行したことのある日本の友人の弁。一人は「みんな個性的な格好で・・・」、他の一人は「格好なんかに気を使っている自分が小さな人間に見えた」。物は言いようである。最も、私は元々そんなに外見に気を使わない人なんだけどさ・・・。

 それにしても、マンハッタンの安アパートのクソ狭い私の部屋。水圧が低くて、すぐに温度が変わるシャワー。ぶちぶち切れる電話回線・・・。それでも、何となく、そのうち順応してしまうんだ。いいじゃないか、たまに帰った日本が天国に思えて・・・。


 いつの間にか時は流れ、この独り言も回を重ね、実はこれは100回目の独り言だ。ぼちぼちと、それでもよく続いたものだ。読んでくださっている皆さん、どうもありがとうm(_ _)m...

 私が子どもの頃の母の友人に、Nさんという方がいた。彼女は同年代の人と比べると、すらっと背が高かった。彼女に憧れ、両手を広げた長さと身長は大体同じと聞き、腕を引き伸ばせば背も伸びるかと鉄棒にぶらさがってみたりもした。幸か不幸か、私の背は平均程度にしか伸びなかった。

 背が高くなりたいという私に、Nさんは「可愛くないおばさんになるわよ」と笑った。彼女は「憎まれる年寄りになりたい」「哀れな年寄りは見ている方が悲しくなるから」と語った。彼女は片目が見えなかった。その後、もう片方の目の視力もほとんど失ったと聞いた。いつの間にか彼女と母との親交が途絶えてしまい、現在どうなさっているのか、私には知る術がないし、特に母に尋ねもしなかった。

 背は高くなくても、私も憎たらしいおばさんになろう♪ いつまでも尖ったヤツでいよう。いつまでも怒っていよう。いつも疑問を持って、ずっと妥協しないで、安定なんていらないから先の見えない面白い生活を続けていこう。いけるかな? もっと年取ったら淋しくなるかな?

 また、これからも命ある限り(インターネットがある限りか?)書き続けます。くそばばあになっても、意地悪ばあさんになっても、「おねえちゃん」でいきますんで、よろしく(^^...。


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