98.4.26の独り言

 当たり前だという認識は、各個人や地域、その他諸々の条件で極端に変わる。当人にとっての常識は、他者にとっての非常識だったりする。

 例えば、日本では電車が時刻表通り動くのは当たり前だ。ニューヨークでは地下鉄が遅れるのが当たり前だ。最も、ニューヨークの地下鉄には時刻表そのものがない。つまり、かなりの確率で順調に走った場合より所要時間が長くなる。マンハッタンから郊外行きの電車が多く出ているペン駅では、発車時刻ぎりぎりにならないと使用ホームがわからないのが当たり前なので、皆ばかみたいに改札の外で掲示板をぼ〜っと見上げている。

 アメリカも悪い「当たり前」ばかりではない。車椅子の人間がバスに乗るのは、アメリカでは当たり前だ。バスの乗り口は、車椅子を持ち上げるリフトに変わるようになっていて、一部のシートを持ち上げて車椅子を固定する。該当する席に座っていた乗客は、当然のようにどく。停車時間はもちろん長くなるが、乗客は不満な様子を見せたりしない。それが当たり前だからだ。

 アメリカでは、各人が好きな行動を取るのが当たり前だ。それが時には良くもあり、悪くもある。秩序のなさ、犯罪の多さ、自分を弁護することだけは非常に長けた国民性。道を歩きながら、電車やバスの中で、歌を歌ったり大声で独り言を言っている人間などたくさんいる。数が多くてそれが当たり前になってしまえば、誰も変だと思わない。

 もしかしたら、田舎のアメリカ人は「年を取ったらデブになる」のが当たり前だと思っているかもしれない。ちなみに、ここで言うデブとは、加齢による多少の脂肪の蓄積なんて可愛いモノではなく、小錦クラスの話だ。

 女性のバスの運転手や電車の車掌も、アメリカでは当たり前だ。こういった比較的給料の安い職業は、逆に女性の割合が高い。電車の運転手に関しては姿が見えないので不明。女性のバスの運転手を珍しがってテレビが取材する日本とは大違いだ。

 私は、会社の近くの公園でよく昼寝をする。非アメリカ在住の人からは、「危なくないの?」と聞かれる。別に夜中のセントラルパークで寝ている訳ではない。昼間に昼寝して危ないような場所の近くにあるオフィスなんぞで働きたくないものだ。私の会社はマンハッタンのど真ん中のオフィス街にある。危ないどころか、公園は昼寝や食事、読書などを楽しむ人で溢れている。昼寝の場所取りが大変なくらいだ。海にしてもそうだが、アメリカでは一人で昼寝するのは当たり前だ。さらに「女性が一人で昼寝する」ことも、全く珍しくも何ともない。老若男女、別に外で昼寝したきゃ、勝手に一人でする。私はサンタモニカの砂浜でもよく一人で昼寝して日焼けしていたし、他にも一人で来ている女性はたくさんいた。

 日本の方がよっぽど危ないわ! 日本では、女が一人で昼寝なんて、とてもしてられない。変な目で見られるだけならまだマシだ。日本時代、大学の陸上競技場を囲むすり鉢上にせり上がった芝生の斜面で昼寝をしていた。通りがかった男子学生たちの会話の耳障りだったこと。野次というか、罵詈雑言というか、誹謗中傷というか・・・。どうやら日本では「女性が一人で昼寝する」のは異常なことらしい。

 日本の好きな部分やアメリカの嫌いな部分も多いが、もちろん逆の面があるからアメリカに住んでいるのだ。アメリカにふらっとやって来るのは女性が多いそうだ。そのうち何割がどこにいてもしょうがないヤツで、どのくらいが根性で居着くのか知らないが、とりあえず来てしまう中に女性が多いのは当たり前だ。職業差別も一つの要因だろう。(もちろんアメリカにだって就職差別はあるが、日本ほど露骨ではない。採用の際に会社が年齢・性別・人種・既婚か未婚か、を質問するのはアメリカでは違法だ)日本では、失うべき地位など初めからない。周囲の干渉からも解放される。何より、勝手な価値観を押しつけられて、好きな時に屋外で一人で昼寝もできないような国なんかに、誰が住みたいものか!


 などと日本の悪口を言ったが、どうも今年は日本の桜を見てしまったお陰で「日本の四季」シックになってしまった。秋口もそうだったが、アパートの全館暖房が消えたにもかかわらず寒い今頃は、部屋の中が寒くてたまらない。日中は外で昼寝できる日が増えてきたものの、朝夕は手をかじかませながら、春爛漫の日本が羨ましくてしょうがない。ニューヨークには夏と冬しかないのだ。もちろん、まだ冬。


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