98.1.29の独り言

 最近の報道で感じたこと。

 日体大が、アイスホッケー部員5人が集団で婦女暴行した件で、スケート部の活動を無期限停止にしたんだって。今頃なんだってのもあるけど、部員の行動ってのは部が管理してるもんなのか? 例え20前だとしても、ちゃんと自分で判断力もあるだろう。部の顧問だの監督だの解任って、あんたらが婦女暴行しろって教えたのか? 学長が「大学としてこのような不祥事を起こし、深くおわび申し上げます」と言ったらしいが、何か違わないか?
 今ドキのガキに、集団責任だの、「ほぉ〜ら、こうやって皆に迷惑がかかるんだから」とか言ったって、善し悪しはともかく暖簾に腕押しって気がするけどね。

 元オウム真理教幹部の林郁夫の公判で、拉致されて殺されていた仮谷さんの遺族は「父と同じように苦しんで死んでほしい」「死刑は簡単すぎる」と言ったそうだ。・・・自らのその手で、愛する者が受けた苦しみを何倍にもして返してやりたいことだろう。やり場のない憎しみや悲しみは、どれほどだろう。記者会見で奥さんが、「夫は優しい人でした。一度も喧嘩をしたこともありませんでした」と語っていた姿が今も目に焼き付いている。大体、世の中、良い人ほどつらい目に合うようにできている。

 日本ではどうやら馬鹿騒ぎだったらしい、サッカーW杯の予選。国歌を歌っていなかった選手ももちろん複数いたそうで、うち一人が理由を問われて「日本国を愛してやっている訳じゃない」。当たり前といえば至極当たり前のこと。大体、スポーツなんて個人でやるもんだろ? 国を代表してとか、大嫌いだ。まぁ私は幼少の頃、五輪放送をテレビで見ながら「どこを応援してるの?」と聞かれ、名前の響きがいいというだけで「スイス」と答えた筋金入りだが…。


 最近、全ての物事が私の中で混沌としている。半年に一度くらい訪れる、自分が見えない迷路の中に入ってしまった。

 本業は、はっきり言って余裕たっぷりだ。年末進行を本当に年末に終わらせてしまったことと(計画を律儀に守る人ってのは、実は少ないのだ)、3月から雑誌の発行日が変わる、という狭間で、えらく長い間、何の締め切りもない。今からちょっとずつ書いておこうなんて性格では全くない。

 代わりという訳ではないが、近い将来のための新企画を考えなくてはならない。出張取材先もゼロから探さなくてはならない。しかし、どうもやる気がどっか別のところに行ってしまっている。目の前の仕事を徹夜で片づけている方が、精神的にはずっと楽である。

 副業も何だか面倒なだけになってしまった。辞めてしまいたい反面、多少のお小遣いにはなってるし…。やる気もなくダラダラと、毎週締め切り直前にあせって仕上げている。

 会社のパソコンのメールボックスに怒濤のごとくぶち込まれてくる、プレスリリース、ニューズレター、ライターからの原稿、セールス・メール…。読み終わらぬうちに次のニュースがやってくる。会社の机に置かれる雑誌の山、拾う間もなくネタが腐る。全部なんて、死んでも読めない。普段は決して嫌いではないこんな毎日。でも、時々「えぇ〜い!!!」と全部、捨ててやりたくなる。そんなサイクルが回ってきている。

 やらなければならないことは、山ほどある。時間もない訳ではない。でも、あまりやる気が起きず、ついつい遊んでいるうちに時間が過ぎる。趣味の雑誌までたまってゆく。映画は、観に行くまでが面倒くさい。メールの返事すら、なかなか書かない。

 別に楽しくない訳じゃない。体力的なエネルギーは有り余っている。風邪をひく気配もないし、思い出し笑いしながら徒歩通勤している。

 でも、なんかこう納得できない。全てがいらいらする。仕事が見えない。立たない計画の見えないプレッシャー。実際には進んでいなくても、忙しくて進んでいる気分になれれば安心するのに。自分が一体、何をしたらいいのかわからず、何をしたいのかもわからず、ただ楽しいことに逃げ込んでいる。ここにだって何を書こうか、肩に力ばかり入って不安になる。

 自分が求めるもの、目指すもの。ぴったり後ろにつけていたはずなのに、ふとした弾みに渋滞の中で見失う。

 よくあることだ。ふと角を曲がったら、目の前にいたりする。突然、自分が猛然と突っ走ったら、今度は向こうがついて来たりもする。突破口は探してもなかなか見あたらない…。


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