2003.12.10の独り言

 ふとしたきっかけから、この独り言の最初のほうを読み返してみた。

 文体も全然違うし、忘れてるできごとも多く、「まーかわいらしい(???)」というか、実のところまるで他人が書いたものを読んでいるようだった。

 少々説明不足な部分こそあるものの、1回の分量が短くてすっきりしているのにも何だか感動。いつから今みたいに変わっていったんだろうか・・・(ってまあ、全部読んでいけばおのずとわかるんだろうけど、今のところ96年末の分までしか読み返していない)

 それにしても、感性の変化には著しいものがあって我ながらびっくり。もちろん8年も経てば変わってもおかしくないというか、変わって当然なのかもしれないし、自分を取り巻く環境だって身近なところから世界情勢までどんどん変わっている。

 ・・・にしても、私の内面は「変わった」というよりは「失った」という表現がぴったりくるみたい。特にやる気の喪失は著しい。闘う気なんぞ、まったくと言っていいほど消え失せてる。身近な細々したことに関しては日夜闘っていないと生活そのものが成り立たないんだけど、自分自身、世間一般、仕事関係などなど問わず「なにかをより良くするために闘おう」という気は見事なまでに失くしてしまった。

 単に年取ったという理由だけでは片づけられないほどの、このやる気のなさ・・・。正義感も義憤も、感じないわけではないんだけど、考えても腹立つだけだから考えないようにしてしまっている。簡単に言えば諦めてる・・・か。人生そのものが早くも(?)余生モード、どうでも良くなってる。別にいつ死んでも全然未練ないんだけど、ただ母はおろか祖母まで健在なので、一人っ子(一人孫ですらある)としては先には死ねないというだけで。

 昔、自殺する人間に対して「信じられない」と書いた自分自身が、今の私からすると「信じられない」・・・。私が自殺をすることは(不治の病に陥って苦痛に耐えかねる、といった場合でもない限り)ないと思うけど、自殺したくなる人の気持ちも良くわかる。逃げてるというより、こんな世の中に生きてたってしょうがないじゃん、というか、誰も産んでくれって頼んでねーよ、というか・・・。逆に未来が明るいとか思えちゃったり、子どもを作っちゃったりする人のほうが信じられない・・・(もちろん他人は他人なので、否定はしないよ)

 昔はあれほど大切だったことが、どうでも良くなる。

 子どもの頃、ものすごく重要だったこと、とっても胸が苦しくて気持ちが悪くなるほど罪悪感を覚えたこと、とてつもなく心痛めたことが、大人にとってはなんでもないことだったりする。でも、それともまた違う気がする。

 大切なものがどんどん変わっていくのは当然として、大切なものがどんどんなくなっていく状況って・・・。やっぱ一言で表現すると「余生モード」か・・・???

 ・・・こんなこと考えるのも「ウィンターブルー」のせいだったりしてな、ははは。春になれば考え方ももっと明るくなるのかな? でも、今年に入ってからずっとこんな感じのような気もするしなぁ・・・。単なる年か・・・

(日々の生活に追われていたらこんなアホなこと考えてる暇もないわけだし、まあとりあえず自分の環境に感謝することにしよう・・・)


 日曜の夕方にゴロゴロしながらなんとなくテレビ見てたら、怪我した野生の大型水鳥を捕獲して治療後、湖に放してやったという話を放送していた。

 一緒に見てたヤツが、「信じれーん、イラクで何万人も殺してるくせに! 北京ダックにして食っちゃえよ!」と叫んだ。

 確かに・・・

 続けてこいつ(中国系アメリカ人)は、「こういうこと言うと、どうせ白人は『中国人は何でも食うことしか考えない』とか言いやがるんだろーけどさ」と、ブチブチつぶやいていた。

 ・・・たっ・・・確かに・・・


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