2003.4.12の独り言

 私の身の回り、2月下旬以来2ヵ月弱の間に、それまでの5年分に匹敵するほど多くの動きがあった。仕事からプライベートまで、すべてを覚えていられないほどのたくさんの遭遇と別離。手に入れたもの、失ったもの。100の出会いがあっても、本当に大切な出会いはせいぜい1つか2つ。やっとみつけた大切な1つが、いとも簡単に別れに変わる。

 3月後半は、悪いほうにばかり物事が動いた。喪失、別離、人生初の火事にまで遭遇。

 なんだってわずかの間にこんなことばかりが続くのか、と、何をする気も起きず、1週間ほど1人部屋にこもって死んだフリをしてみた。いつまでも死んだフリしてると本当に死んじゃうので、仕方なくだらだらと仕事に復帰した。

 「踏んだり蹴ったり」「泣きっ面に蜂」

 世の中にはなんとも適切な言葉が用意されているものだ、などと妙に感心しながら、なんだか人生が終わってしまいそうな気分がした夜。前週まではすごく楽しい毎日だったハズなのに、春気分でウキウキしてたのに、おかしいな、絶対におかしい・・・なんて思いながら、なんだかすごく息が苦しかった。

 実に身勝手な私は、こういう時ばっかり、しばらく連絡していなかった相手に愚痴メールを出す。「元気?」という問いには「全然」との返事。そいつも今年に入ってからなにやら人生、すごく大変らしい。それでも心配して優しい言葉をかけてくれる。曰く「がんばって、って言いたいけど、時には流されるのも楽だと思う」。本当にその通りで、また泣きたくなる。絶対にがんばらない、と、ただ時が過ぎるのを待つことにしよう、と、心に誓う。

 みんな大変なんだよね。生きていれば、いい時も悪い時もあるさ。わかってはいても、ただ嘆く以外、愚痴を言う以外、何もできない時がある。結局、遠い国で何万人もが飢え死にすることより、何万人もがブッシュに殺されることより、自分の周囲1メートル以内で起こった「小さな悲劇」のほうがもっと悲しいんである。

 さんざん愚痴を聞いてもらっていた、近所に住む友人夫妻。夫妻とも95〜96年に働いていた会社の元同僚で、中学生と小学生の息子がいる。彼らの家には(時には自転車に乗って)年がら年中遊びに行っている。毎年、クリスマスや感謝祭のディナーに呼んでもらうような、家族の一員みたいなつき合いをしている。

 先週、その家族の夫側の親族が亡くなった。夫妻と下の子は慌てて日本に行ってしまい、中学生の子とペットが残った。妻のWさんが動物好きなので、そこの家には何種類ものペットがいるのだが、中でも犬は私によくなついていた。この家の犬は、先代も私によくなついていた。犬は大好きなので、私もとてもかわいがっていた。

 中学生の息子から、「犬の具合が悪い、下痢したり吐いたりしている」と電話をもらったのが金曜日の午後。慌てて病院に連れて行ったところ、「1時間以内に手術をしなければ死ぬ」と言われ、緊急手術ができる別の病院を紹介された。2軒目の病院で手術はしたものの、すでに手遅れだったらしい。2日前に様子を見に行った時は、いつも通り元気に飛び付いてきたのに。

 午後7時過ぎに病院を覗いた時は、手術時の麻酔がまだ効いていて犬は眠っていた。病院のスタッフに、「数時間で目を覚ますから大丈夫だよ。また明日の朝、様子を聞きに連絡して」と明るく言われ、もしかしたら元気になるのかもしれないと淡い期待を抱きながらいったん病院を後にした。

 深夜の12時過ぎに日本にいるWさんから電話があり、犬が9時過ぎに死んだと知らされた。2時間ぐらい、ついていてあげたらよかった・・・。どうしてあのまま、ずっと病院にいなかったんだろう。誰も知っている人がいない中で、死なせてしまった。それにしても、なにもよりによって、一番かわいがっていたWさんがいない時に急死することないじゃないか。Wさんのほうがよっぽどつらいのに私が泣いてどうするんだよ!とは思ったけど、電話口で泣いてしまった・・・

 アメリカには(日本にも?)ペットの健康保険というものがあるらしい。下世話な話になるけど、この犬の保険は3月に切れたばかりだったらしい。今回の治療費など、私が立て替えている分だけでもすでに1300ドルを超えている。いくらかかったってそれで治るのなら救われるが、犬は逝ってしまった。死に目にすら遭えず。すべてがあまりにも間が悪過ぎる。

 10日前の私は、世界中の不幸を自分1人で背負い込んだみたいな気分になっていた。きっと誰にも、「世界中の不幸を自分1人で背負い込む」時がある。がんばらないで、ただ流されて、死んだフリして時が過ぎるのを待つしかない。


 いろいろあって、最近車をMPVからLincoln Continentalに変えた。

 私、FORDは嫌いなんである・・・。嫌いなんだけどな・・・

 そもそも93年にロサンゼルスに来た直後、間もなく日本に帰る駐在員からFORD ESCORT WAGONを家財道具一式付きで安く買ったのが始まり。その後、1年半ほどVW JETTAに乗っていた時期もあったが、ニューヨークに移って手放した。ロサンゼルスに戻る直前、なぜかこう絶妙なタイミングでまたまた日本に帰る駐在員がFORD TAURUS WAGONを安く売りに出していた。ついついはずみで(?)買ってしまった。2年前に買ったMPVは、ブランドはMazdaだったけど中身はFORD。

 そして、Lincoln Continental。でもすでに、かなり気に入ってる。私のものになってまだ1週間も経たないけど、体の一部になってる。このガソリン高値のご時世に、ハイオク仕様4.6Lは大変といえば大変だけど、でも好きだからいいや。久しぶりに、もしかすると渡米して以来初めて、心から自分の車が気に入ってる。生活必需品の「下駄」じゃなくて、文字通りの「愛車」。


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