2002.6.18の独り言

 2002年6月は、私にとってみたいである。

 私の滞米ステータスは、2000年の12月12日から永住者だ。しかし、永住権所持者であることを証明するカード(通称グリーンカード)は、すぐには発行されない。こいつに永住権を出してやる、と決定した段階で、移民局は呼び出しの通知を送る。グリーンカードに使う写真や必要書類を持って指示された日時に移民局に出頭すると、カード発行手続きの後にパスポートにスタンプを押してくれる。このスタンプは1年間有効。グリーンカードの現物が郵送で届くまでの、永住権所持者であることの仮証明書である。

 このスタンプがあれば、問題なく米国に再入国できることに「一応は」なっている。しかし、すんなり入れるかどうかは入国審査窓口の係官による。「グリーンカードはどこにあるだ?!」と、実に意地悪く何度も聞かれたこともあった(心の声「んなこと知るか! 発行に時間がかかってるのは私のせいじゃないわい! 私のカードが今どこにあるなんて、こっちが聞きたいわ!」)。意味もなく別室に行けと言われ、そこで延々と待たされたこともあった(ようやく私の順番が来たと思ったら、そこの係官に「なにしに来たの?」という顔をされた。本来はそんなところに行ってスタンプが本物かどうかチェックする必要なんてないのに、入国審査窓口の係官の嫌がらせとしか思えない)。

 要するに、いくらステータスは永住者でも、グリーンカードの現物なしでの米再入国は、かなりドキドキものなのである。

 さて、時は2001年11月。待てど暮らせど、グリーンカードが届かない。スタンプの有効期限は翌月に切れてしまう。移民局の電話は、「壊れてるんじゃないの?!」と思うほどいつかけても話し中。時間外にかけると、テープのアナウンスが流れる。曰く「現在、カードの発行には普通で365日から540日かかっています」。生身の人間に自分のケースの進行状況を聞くこともできない中、テープにそう言われちゃったら、自分のカードも単に発行に時間がかかっているだけだと思うのが当たり前である。

 しかし、12月末には日本に行きたい。どうしたものかと弁護士に相談したところ、移民局に行けばスタンプを延長(押し直し)してくれると言う。私のケースの管轄はニューヨーク。2001年12月頭、そんなわけで私ははるばるとニューヨークの移民局までスタンプを延長してもらいにでかけて行った。

 早朝から長い列に並び、さんざん待たされた挙げ句、窓口で言われたセリフは「あんたのカードは2月に発送済みだよ」

 ・・・・・・・・・・

 しばし石になった。思考能力が失せた。頭が真っ白になった。言葉を失った。その時の私は、絵に描いたように固まっていたと思う。傍から見ても、明らかに固まっているのがわかったと思う。

 私のカードは2001年2月、つまり9カ月以上も前に発行され、郵送されていた。要するに、郵送途中で紛失していたのだ。そうとも知らず、ひたすら馬鹿みたいに待っていたのだ。

 しばしの硬直の後、気を取り直し、再発行申請はできるだけ早くするとして、とりあえずはスタンプを延長してくれるよう係官に依頼する。しかし、今すぐにスタンプは押せないと言われる。再発行申請を郵送すると、折り返し呼び出しの通知が届く。指定された日時に出頭した段階で再発行申請が受理され、スタンプもその時に押す、と言う。

 つまり、数週間、下手したら数カ月はスタンプがもらえないってことである。それじゃ年末の日本行きもおじゃんである。ふざけろよ。

 どうしたもんか、しばし考えた。そして、ニューヨークで再発行を申請するのはやめて、アポなしで書類を受理してくれるロサンゼルスの移民局に申請することにした。

 それにしても、ロサンゼルスの移民局が朝6時開館と知り、朝9時に行った私は本当に馬鹿だった。建物の外で1時間半列に並んだ挙げ句、「本日受け付け分の整理券の発行は終了した」というアナウンスを聞く。建物の中にも入れぬまま空しく追い返され、さらに落ち込む。同じような目に遭っている人は恐らくたくさんいるのだろうが、ついつい「何の因果で私がこんな目に遭うんだ?!」と、いろんな人に愚痴りまくってしまった。

 その夜は、緊張のあまり30分ごとに目が覚め、最終的に4時45分に起床。5時半に移民局に到着。外はまだ真っ暗で寒いのに、すでに建物の周りに200人くらいの列が出来ているのを見たときは、またまたメゲそうになる。とにもかくにも列に並び、立ったまま待つこと2時間半。建物の中に入れたのが8時。受け付け番号をもらったのが8時半。ここでようやくほっと一息。この後は比較的早く、9時半には無事にパスポートにスタンプを押してもらい、移民局を後にしていた。ロサンゼルスで再発行申請して、本当に本当に良かった。ちゃんと年末に日本にも行けた。

 さて、それから約半年。5月後半から、少しずつ不安になり始めた。「そろそろ届いてもいいんじゃないのか?」「まさかまた紛失なんてこと、ないよね?」などと、妙に気分がそわそわする。毎日、郵便受の蓋を開くたびに、淡い期待と軽い失望を繰り返す。

 そして昨日、郵便受けにいかにもお役所っぽい愛想のない封筒。なんとなく、中に固いカード状のものが入っている感触。ドキドキしつつ、でも今まで同様のパターンで何度も失望しているから期待し過ぎないようにと自分に言い聞かせつつ、封を開ける。・・・・・。中から、ついに、ついに、ついに出てきた。これが待ちに待ったグリーンカードなのか・・・

 感激のあまり、しばし思考能力を失う。友人たちに電話やら電子メールやらで喜びの報告をしまくる。

 たかがこんなカードを手にするそのために、ひたすら耐えて待ってエネルギーを注いできた長い年月。93年2月に渡米して以来、初めて、本当に初めて、心の底から深く呼吸ができるようになった。常に頭の片隅にあったもやもやが、きれいさっぱり消え失せた。肩が、背中が、すっきりと軽くなった。常に心のどこかにあった不安がすっかり吹き飛んだ。

 自分がものすごく強く感じる。今なら、たとえ何が起こっても笑顔で踏み越えて行けると思う。どんな嫌なことでも、大抵は笑い飛ばせる気がする。今の私、はっきり言って無敵である。

 実は今月は頭から、とってもうれしいことがいくつか続いていた。そして、この10年で最高にうれしいことが起こった。2002年6月は、私の人生の中で忘れられない月になった。


 おとといの夜、ハワイの仕事から戻ってきたのだが、帰りの飛行機がとにかく寒かった。飛行機、特に米国の航空会社の飛行機は寒いにきまっているので、もちろん上着は持っていた。1着ね。だって、ハワイもロサンゼルスもTシャツ1枚の気候なのに、普通、2枚も3枚も上着持って搭乗しないよ。

 けど、上着1枚に座席に備え付けの毛布だけではまったく足りないほど寒かった。天井に開閉できる空調の吹き出し口がないタイプの機体で、窓側の天井というか壁上部から常に否応なしにびゅーびゅーと寒風が吹き出していた。

 昨日の朝、ちょっと喉が痛かったので、「南天のど飴」などなめてごまかした。

 今朝は起きたら、喉と鼻がそれは激しく「お前はこれから本格的な風邪をひくのだ」と主張していた。そらもう見事に本格的な風邪ひきの体調。だるい。昨日のうちに風邪薬でも飲んでおけば良かったのかもしれないが、後悔先に立たず。

 これまでの経験から、ここまで進んでしまうともう後戻りはできないことはわかっている。間もなく熱が出るハズだ。発熱期間が長いか短いかはその時による。そのうち咳が出始め、咳が収まってくると鼻水が止まらなくなる。鼻水に移行する頃には熱も下がり、鼻のかみすぎで鼻の下が真っ赤になる頃ようやく普通の体調に戻る。

 1サイクルをできるだけ短く終わらせるべく、がんばらねば・・・


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