2001.10.31の独り言

 10月中、しばし日本に行っていたのだが、さすがは厳戒態勢下。移動の過程でこれまでにない経験をいくつかした。

 出発は、テロ後ながら米国によるアフガニスタンへの攻撃の開始よりは前。単純に乗客や離発着便が減っている状態。空港への一般車両の乗り入れが禁止されていることもあり、LAの空港は中も外も実にがらがら。普段は大渋滞しているターミナル内を周回する道路があんなにすいているのは、なんとも異様な光景であった。

 今回はスーツケースなどの機内に持ち込まない荷物も厳重に調べられるのではないかと警戒していた・・・ところ、X線検査すらなしに預かられてしまい、逆に不安になる。単に、今回利用したタイ航空がX線検査の装置を持っていないという、それだけの事情のようである。以前にタイ航空を利用した際も、大荷物のX線検査は受けていなかったんだと思う。平時なので気に留めなかっただけなのだろう。これさあ、(テロとは関係ないけど)禁輸品も持ち込めちゃうじゃん。今まで考えたこともなかったけど、麻薬のように臭いがするものは無理としても、拳銃なんか簡単に日本に持ち込めちゃうよ。本当にこんなんでいいのか?!

 私は普段、米国外へ行く際は米国の携帯電話は家に置いてくる。今回は時期が時期だけに、さすがの私も(?)ついつい米国の携帯も持って出てしまった。しかし、待合室で爆睡している間に着信があったことに、飛行機に乗ってから電源を切ろうとした時に初めて気付いた・・・(やっぱり、「さすが、私」・・・???)

 空港の利用が減っているので、職員も暇、滑走路も空いているのだろう。搭乗も荷物積み込みも実にスムーズ。離陸予定時刻にはすでに飛行機が滑走路に向かって走っていたという、過去に経験したことのないほど順調な旅の始まり。

 到着した成田も事情は似たり寄ったりだった様子。普段の成田では、着陸してから機体がゲートに横付けされて乗客が降りられる状態になるまで、30分近く待たされることも少なくない。今回は、滑走路や駐機ゲートの空きを待たされることもなく、職員が暇だったのか預けた荷物も一瞬で出てきた。着陸予定時刻には、すでに私は高速道路上を都内に向かって走っており、これまた過去に経験したことがないほど順調に往路は終了した。

 さて、戦争まっただ中、炭疽菌テロまっただ中、さらに米当局により「1週間以内に次のテロの危険あり」と報道されたまさにその日に復路出発。往路とは正反対に、成田でもLAでも待たされまくった・・・

 まずは、準備が整わないとかで、航空会社のカウンターが開くまでにかなり待たされた。ようやくチェックイン作業が開始され、荷物は当然X線にかけられる。ナント、2つ持っていたスーツケースのうちの1つは空港職員による中身のチェックを受ける羽目に。預ける荷物を開けさせられたなんて、随分と昔、使い捨てライターの持ち込みに対してやたらうるさいノースウエストの便に乗る際にスーツケースに入れていた使い捨てライターを無理矢理所有放棄させられた時以来である。

 しかし、どういう基準で荷物を開けさせるのかは、まったく不明。金属や機械類はどちらのスーツケースにも入っていた。開けられなかった方のスーツケースには、日本で買ったスキャナ(最近は大抵のものは日本で買った方が安いので、日本ではいつも大量に買い物をして帰る)を発泡スチロールと衣類ではさみ、さらにタオルケットでぐるぐる巻きにし、ヒモでしっかりとしばった物体が入っていた。これを「開けて見せろ」などと言われた日にゃあ、ヒモからして切らないといけない。その場で元通りにパッキングできる自信など微塵もなく、密かに恐れていた。開けろと言われたのがもう1つのスーツケースで、本当に助かった。

 お次の関所。ナント、搭乗待合室の入り口に検問所(?)が設けられていた。1回入ったら2度と出られないというか、再び面倒な検査を受けたくないので2度と出ないことになるだろうから、ギリギリまで別の待合室で時間をつぶす。この関所では、手袋をした職員が機内持ち込み荷物を隅々まで、鞄のポケットというポケットに手を突っ込んで調べていた。さらに驚いたことに、金属探知器ではなく触診(?)によるボディチェックまであった。

 そんなわけで、離陸も予定より遅れ気味。もっとも、飛行機の到着予定時刻って実際の飛行時間+種々の待ち時間(?)を加算して設定されているみたいで、普通は出発が多少遅れても到着予定には影響しない。今回も、離陸した直後に「予定より10分早く到着する見込み」とアナウンスしていた。

 さてさてさて、普段から非常にうるさい米国の入国審査。かなり覚悟はしていたが、思った以上に長い列。多少審査が厳しくなっても、入国する人の数も減って差し引きゼロかと思っていたが、世の中そんなに甘くなかった。

 入国審査の窓口、普段は「訪問者」と「在住者」にしか分けられていなかったような気がするのだが、今回は「訪問者」「永住権所持者」「米国市民」の3つに分けられていた。さすがに「米国市民」の列は進みが速いが、「訪問者」と「永住権所持者」の列は遅々として進まない。「訪問者」用窓口の数が一番多いので、いっそそっちに並んだ方が速いのではないかと思ってしまうほど、「永住権所持者」の列も進まない。ようやく私の番になり、嫌みったらしい審査官のせいというか、いつまで経ってもカードを送って来ない移民局のせいというか、まあとにかく多少のムカつくやり取りの後、疲れ果ててようやく法的に米国内へ。

 どいつもこいつもなかなか入国できないので、荷物用ベルトコンベアーにはすでに次の便の乗客の荷物が流れている。我々の便の乗客の荷物は、すでに職員の手ですべて降ろされ、床に並べられていた。

 さて、普段はなきに等しい税関審査もまた、今回は厳しい。これはテロや戦争だけでなく、伝染病などの影響もありそう。「口蹄疫(Mouth & Foot なんちゃらだったか、Foot & Mouth なんちゃらだったかとか書いてあったので、多分口蹄疫のことだと思う)を米国に入れるな!」と書いた看板がそこここに立っている。当然、狂牛病とか各種病原菌にも神経質になっているのだろう。普段は出口で、係官とはほとんど会話も交わさず、ただ税関申告書類を渡すだけで外に出られるのに、今回は関所が3つも設けられていた。相手の国籍や顔を見て疑わしいかどうかの予断をしていると思うので、どの係官も(怪しくは見えない?)私には冗談を交えながら笑顔で話しかけてきたけれど、それにしても荷物を受け取ってから外に出るまでに3人もの係官と会話をしたのは初めてである。

 一定期間留守にした後の溜まった郵便物のチェックは、いつも面倒である。それに大抵、トラブルの素というのか、ムカついたり何らかの対処が必要だったりする「なんでだよ?! 疲れてんだから、勘弁してよ!」などと叫びたくなるような手紙が混ざっている。

 今回は珍しく私を不愉快にする郵便物は1つもなく、ホントに奇跡的に心穏やかなまま溜まった郵便物の処理を終えられた。それどころか、8月に修正申告した税金の還付金の小切手が送られてきていた。これは嬉しい♪

 ところで、私が出国した直後に我が家は停電したようである。留守電に録音されたメッセージ、最初のものから日時が記録されていない。

 親しい人には留守にすることを伝えてあったが、それほどでもない人にはいちいち言っていない。しかし、電話をくれたら、留守電の応答メッセージで私が留守であることがわかるようにしておいた。停電したお陰で、留守電の応答メッセージは電話機に最初から登録されている必要最低限のことしか言わない機械音声に戻ってしまっていた。セールス伝言の合間には、「最近、顔を見ないけど、どうしたの?」という安否を気遣うメッセージ。こういう相手のためにせっかく応答メッセージを変えておいたのに、何の意味もなかった・・・


 最近、多少頭が痛いこと。他人のせいで自分まで仕事ができないと思われそうなこと。

 その1。Aさんが書いた原稿をBさんがチェックした後、私に転送。私が完成品にして発表することになっているもの。最初にAさんがBさんに原稿を送ってから、ひどい時には2週間以上も経ってから私に転送されてくる。私は、転送されてから24時間以内に処理しているけれど、自分が送った日時と完成品になった日時しか知らないAさんから見ると、なんだか2人とも作業が遅いと思われてしまいそうである。だからと言って、聞かれてもいないのにわざわざ私から事情を説明するのは、かえって言い訳に聞こえそうで気がひける。締め切りがあるものではないけれど、当然情報は新鮮さを失う。(ついでに読者からの「遅い」という苦情は、私のところに来る・・・)

 その2。出版社の編集部から私に台割(その号の割り当てページが書かれた表)が届く。私は台割に合わせて書いた原稿を使用する画像と一緒にデザイナーのCさんに送る。Cさんはレイアウトを組んで、私に戻す。私は直しを入れて、編集部に戻す。私が一生懸命頑張って、台割を受け取ってから2日以内に原稿を送っても、Cさんはひどい時には10日も経ってからレイアウトを戻してくる。

 月2回刊の雑誌でレイアウトに10日もかけるなんて、許し難い遅さである。たとえばデザイナーが出版社の人間であれば、私は原稿をデザイナーに送った時点ですでにその会社に仕事を戻しているので、デザイナーがレイアウトにどんなに時間をかけようと知ったことではない。実際には私もCさんもフリーランスなので、編集部には、台割を出してからレイアウトが戻ってくるまで「トータルで異様に時間がかかっている」ということしかわからない。しかしこれまた、聞かれてもいないのにわざわざ説明するのも気がひける。

 なんというか、どっちも「自分は悪くない」と主張したいという、ケツの穴が小さいというか、我ながらセコい話ではある。しかし、こうしたケースから私が仕事ができないと判断されて、来る仕事が来なくなるなんて事態は絶対に避けたい。自分の仕事が遅かったり質が悪いために仕事を失うならともなく、他人のせいで仕事を失ったらしゃれにならない。

 一番いいのは、BさんとかCさんに、もうちょっと速くしてくれ、と言うことなのだろう。しかし、これまた難しいのである。私は他人に優しく注意するのが非常に苦手である。歳食って多少丸くはなったものの、それでも普段から言い方はきつめだ。(前者のBさんはそれが本業ではないので「お願い」はできても「文句」は言えないのだが)後者のケースなど、内心では相当ムカついていたりするので、とてもじゃないけど気持ちをおさえて優しく言うなんてことはできない。結局、私は内輪にはあまり文句を言えない人間なのである・・・(若い頃はそれでも言っちゃうから、必要以上に怖がられたり嫌われたり憎まれたりしてたな・・・ははは・・・)

 そろそろ年末進行だし、実に不安である。いっそ間に合わないくらい遅くなって編集部から催促が来たりすると、ちゃんと事情を説明できるので逆に嬉しいかもしれない・・・


エッセーのメニューに戻る
  • 次回の独り言に行く
    過去の独り言メニューに戻る
  • 前回の独り言に戻る
    トップに戻る