2001.7.5の独り言

 その彼は、ニューヨーク時代にちょくちょく顔を出していたバーの常連客だった。常連&従業員は皆お友達、みたいなバーだったので、彼とも会えば話した。酒はまったく飲まない人だったから、バーテンや他の客と話すために来ていたようなものだろう。バーに1台だけある古びたゲーム機にも、ご執心だった。

 酒を飲まないのにバーの常連だなんて、寂しいのかな、なんて、あくまでも勝手に思っていた。ま、私だってバーへは、酒自体が目的ではなく、飲みながらの会話が目的で行くのだから、似たようなモンかもしれない。

 彼の職業は、イラストレーター。バーでの会話がきっかけで、彼のアートショウ(個展兼販売会)を取材したことから、彼の細かいプロフィールも知るところとなった。

 私と同じく、93年に渡米。米オリンピック委員会の公式ポスターアーチストでもあり、ユニセフのクリスマスカードのデザインコンペにも参加。マンハッタン内で3つのギャラリーが彼の作品を展示。慈善団体が運営する幼稚園に大型の壁画を贈ったりもしていた。数限りなくいる、野心を持ってアメリカにやってきた日本人の中でも、かなり成功していたほうだろう。

 アートショウの時に撮影した彼の作品や彼自身の写真やら、名刺代わりにもらった彼の作品をあしらった絵ハガキも持っていたはずなのだが、引っ越しの際にどこかに行ってしまったようで見あたらない。ニューヨーク時代のオフィスに置いてきてしまった可能性が高い。

 自分が書いた記事によると、彼の作品は「アクリル絵の具を使ったアメリカン・フォークアート」と説明されている。とにかく精緻なイラストだった。約1.4×1.2メートルの作品を描くのに、かかりっきりで3ヵ月必要と書いてある。細かくて繊細で綺麗で、(才能うんぬん以前に根気の要る地道な作業が必要だという点で)私には間違っても描けないと思った記憶がある。

 ところで、私が取材したこのアートショウは、例のバーを使って営業時間外に行われた。よって、私はこの店の外で彼に会ったことがない。彼はいつも浜田省吾のような黒いサングラスをかけていたから、彼の素顔を見たこともない。

 6月の最後の日、1通のメールが届いた。彼が、自宅ベッドで亡くなっているところを発見されたという。

 多分、彼はまだ30代だったと思う。異国の地での、若過ぎる、孤独な突然死・・・という「ありがちな表現」がまず浮かんだが、あまりにも表面的で紋切り型だなと思い直した。

 そもそも私にとっても彼にとっても、アメリカは異国なのかどうか・・・。別に孤独でもなかったかもしれない。亡くなった翌日にはこうして私の元にも情報が届いているのだから、亡くなってすぐに誰か親しい人に発見されたのだろう。

 はっきり言って、私は彼の人生のほんの一部分しか知らない。バーで他愛のない会話を交わしたことがあるだけの、ちょっとした知り合いでしかない。しかしあれ以来、この一件が頭の中をぐるぐる回ってなかなか離れないのは、人ごとじゃないみたいな気がするから。

 彼は幸せだっただろうか? こうして生きたこと、こうして死んだこと、彼の人生、幸せだっただろうか?

 私は、明日の朝も目覚めたい。あさっても、しあさっても、その次も、まだまだ当分は目覚めたい。目標もゴールも何もない人生、どうなれば幸せなのか、自分でもよくわからない。だけど、明日も絶対に目覚めたい。


 7月のLAに雨が降った・・・

 ほんのわずか、パラパラと落ちてきただけとはいえ、7月のLAに雨が降るなんて・・・!!!

 ここ数年、気候ってこんなに目に見えて変わるものなの?!と呆れるほど「脱砂漠気候化」しているLAだけど、それにしても7月に、わずかとはいえ雨が降るなんて・・・!


エッセーのメニューに戻る
  • 次回の独り言に行く
    過去の独り言メニューに戻る
  • 前回の独り言に戻る
    トップに戻る