2001.1.15の独り言

 人生は素晴らしい!

 私の21世紀はとにかく本当に本当にさいっこぉ〜〜〜の形で幕を開けたのである。

 ・・・あれは昨年、クリスマス前の最後の月曜日。留守電にメッセージが入っていた。曰く、「パスポートに永住権のスタンプを押しに来いという連絡が来ている」と。このメッセージを聞いてから1時間以内に、ニューヨーク往復と日本往復の航空券を予約した。(注:私のケースを管轄するのはニューヨーク州の移民局。呼び出しは「金曜日なら、いつ来てもいい」というもの。この週の金曜に出頭すれば、ぎりぎりで年内に日本に帰れる)

 日本往復はともかく、よくもこのクリスマスシーズンまっただ中、こんな直前にニューヨーク往復のチケットを取れたものである。取れただけで満足して、使用空港がニューアーク(ニュージャージー州)であることや、やたらと経由地が多くて乗り継ぎの待ち時間が長いことなど、予約時には気づきもしなかった。

 火曜日。慌てていろいろと買い物などに行く。たまたま車を停めた屋上駐車場から、いい感じで景色が撮れることを初めて知った。ついでに遠くの山まできれいに見えて、実にいい天気である。先週まで、あれほど待ち望んでいた絶好の景色撮影日よりなのだが、実は前日の段階ですでに写真を撮る必要はなくなっていた。タイミングとしては、いつもながら人をナメたというか、皮肉の極みなのだが、悔しい気分はみじんもなく、鮮やかな景色と暖かい空気が徹夜明けの頭にただただひたすら心地良い。

 水曜日。最後の準備いろいろ。

 木曜日。私を乗せた飛行機は、深い雲に覆われたロサンゼルスを抜けて東へ向かう。

 金曜日。朝5時ニューアーク着。なんとまぁ、雪だよ・・・。6時、バスでマンハッタン入り。7時、雪深い(?)ブルックリンの友人宅で、預かってもらっていた必要書類を受け取り、マンハッタンにとんぼ返り。ダウンタウンにある移民局のビル内でかなり迷うが、8時、ようやく正しい窓口に並ぶ。8時45分、無事にパスポートに正式な永住権(カード型)が届くまでの臨時永住権スタンプを押してもらう。要するに、ようやく正式に永住権が取れたということである・・・!

 雪が降りしきるゲキ寒いマンハッタン、でも心はウキウキ、口元が自然にゆるみ、傘も差さずに歩きながら歌など歌ってしまったりする。10時過ぎ、こんこんとふりしきる雪を眺めながら朝食を食べるマクドナルドのBGMは、もちろんジングルベル。ああ、これまでの人生の中で最高のクリスマスプレゼントである・・・

 もちろんニューヨーク限定発売の猪木さんの豆腐パンも忘れずに買う。店で、どのくらい持つか、賞味期限はあるか、などと尋ねた後で「じゃ、5つ、ください」と言ったら、「・・・え?! 豆腐パンをですか・・・???!!!」と聞き直された。思わず「い・・・いや、ニューヨークでしか売ってないんで、お土産にと思って」と、わざわざ言い訳してしまったじゃないか・・・

 復路乗り換えのラスベガスでさんざん待たされた挙げ句、搭乗口を移動させられ、立ったまま瞬間的に眠れるほどしんどかったことなんて、もう忘れた。ただただ、夜中の3時に帰り着いたロサンゼルス空港周辺が、一般道の運転にも支障をきたすほどの濃霧だったから、「ここで事故ったら元も子もない」と超慎重運転で、9月よりさらに強行スケジュールな日帰りニューヨークに、さすがの私もヘロヘロになりながら帰ってきたのである。

 ・・・そりゃ、永住権が取れたこと自体、嬉しいよ、本当に。長く待たされたもんね。このためにいろいろな努力や苦労もしたし、不便も強いられた。「やっと!」という気分である。

 しかし! タイミングがこうじゃなかったら、ここまで興奮して大騒ぎして通知が来た次の瞬間にニューヨークに飛んで行ったりしなかった。とにかく、私は2001年を大阪で迎えたかったんである!!!

 2000年12月31日大阪ドームで、猪木さん主催の年越しイベントがあったのだ。私のステータスは米国外出国禁止。このイベントが発表されたのは、開催のわずか2ヵ月前。それから出国許可を申請したって間に合わない。新世紀を猪木さんと迎えられるチャンスなんて、当たり前だが一生に一度しかない。どうしてこういう時に米国から出られないのか?!と、それはそれは本当に悔しくて悲しくてたまらなかったのである。

 それが、大げさではなく、9回裏2死からの大逆転。自分でも、まったく予想も期待もしていなかった。なんと危ない、しかし素晴らしいタイミングなんだ! 昔から、先が見えない人生を続けたいと願ってきたが、ここまで見えないとは・・・。一寸先のこともわからないダイナミックな(?)人生、最高である・・・

 私は、自分のことを運がいいとは決して思わない。でも、運が「強い」と思う。

 私は生まれながらにして強運を持っていたと、自分でも思う。20歳を過ぎた頃から、持って生まれたその運を、自ら捨て、減らし続けてきたような人生だった。この運を、パワーを、取り戻せたような気がした。なんだか、何があっても負ける気がしない。ものすごく長い間、手放していた自分の本当の人生を、奪い返したような気分。


 望み通り大阪ドームで、リング上の猪木さんと一緒に新世紀を迎えられた。しかも、正面かつ至近距離の座席で・・・。2週間前には、自分がこの瞬間、この場にいられるなどと、予想だにしていなかったのである。

 馬鹿と思われても結構。ほんっとぉ〜〜〜に生きてて良かったと思った。新世紀を迎えた瞬間、大阪ドームに舞う風船や紙吹雪やテープを見ながら、皆が手を高く掲げ、歓声を上げるのを見ながら、涙出そうだった。人生は素晴らしい!

 大会終了後、居酒屋で仲間と乾杯した後、午前4時頃に大阪を出て東京に向かった。大阪を出た時は雨だったのに、夜明け過ぎに浜名湖で運転を代わった時には空は明るく晴れていた。しばらく走ったところでトンネルを抜けたら・・・ゆるい下り坂の右手に青々とした(駿河?)湾、その向こうで間近にそびえる美しい富士山・・・という絶景に遭遇。寝ていた同乗者たちを思わず起こしてしまったほど、すばらしい景色だった。

 猪木さんと迎えた新世紀。元旦の朝から富士山を含む絶景。21世紀、いいことがないわけがない!!! 本当に人生は素晴らしい!


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