「羞恥心も繊細さもゼロ」

 元同僚の友人が著したエッセイを読んでいて思い出した。ニューヨークで会社勤めをしていた頃のこと。

 同じフロアに我々の会社の他にもいくつかの会社が入っており、フロア全体で1カ所のトイレを使用していた。フロアに、日系の会社はうちだけ。友人は、自分が個室に入っている時に誰かが後から入ってくると、それが「同僚=日本人」なのかどうか、音ですぐわかると書いている。まさにその通り。

 非同僚の場合、まず大きな音をたてて力強くトイレのドアを開ける。個室のドアも思いっきり「ばーんっ!!!」という感じで開閉。便座の蓋が閉まっていれば、「ぱこーんっ」という音を響かせて開け、どしっと座る。そして、私にはどうしても「馬の小便」が頭に浮かんでしまうような強烈な音を立てながら用を足す。(他にも、たぶん象とかキリンとか、ものすごい勢いで馬より大量の小便を放出する動物はいるだろう。しかし高校時代、馬術部だった私にとって、馬が用を足している光景は未だに鮮烈な印象として脳裏に焼き付いているので、こんな例えになってしまう・・・)

 用が終われば、「がらがらがらがらっ」とこれまた大きな音をたてながらトイレットペーパーを取り、手を洗う段になればもちろん(水を大切に、なんて観念はゼロだし)勢いよく蛇口をひねり、「ばしゃびしゃ」と威勢のいい音をたてる。ペーパータオルは(紙資源を大切に、なんて観念はゼロだし)別に1枚でふけるだろうと思うのに、「がたっがたっがたっ」と勢いよく3枚くらい抜き取る。最後に、入り口のドアを「ばこーん」と閉めて出ていく。

 ひと頃の日本人みたいにわざわざ水を流しながら用を足す必要はないと思うけど、そこまでがさつにならなくてもいいだろうに・・・

 アメリカ人にとって用を足す行為は、隠すべきものではないらしい。男女(恋人同士とは限らない)が一緒にバスルームや個室に入り、交代で用を足す。トイレのドアを開け放したまま、男女の片方が便器に座って用を足しながら、別の部屋にいる他方と大声で会話する。複数の映画で、そんな場面を目にした。よくある光景だから普通に映画に出てくるんだろう。

 男性が並んで立ち小便することを「連れション」などと言うようだが、アメリカでは男女混成で連れションするらしい。アメリカの大学を出た複数の友人から聞いた話。男女大勢でドライブしていてトイレ休憩のために例えば砂漠の真ん中に車を停めた。道路脇で用を足しながらふと見ると、女子学生も男子と一緒に並んでしゃがんで用を足していた。

 こんな話も。キャンプ地での仮設トイレ、男女共用な上に仕切りが低い。友人(男)が用を済ませて立ち上がった時に隣の個室が見えてしまった。しかし、そこの便座に座っていた女子学生、照れる様子もなくにっこり笑って「はぁい」と挨拶したそうな。

 聞くところによると、日本の男子用公衆トイレには小用便器と便器の間に仕切があるのに、アメリカでは仕切がないことが多いらしい。

 屋外の公衆トイレ。設置されたエリアの治安が悪くなるに従い、個室の鍵がなくなり、次にドアがなくなり、ついには仕切までなくなる。さすがに男女は分かれているけど、がらんとした部屋に便器だけが並んでいる様子は異様である。そんなトイレ、日本だったら作ったところで誰も利用しないから存在する意味がないだろう。

 少し前、日本では「中国の公衆トイレは仕切りも何もなく、ただ穴(溝だったか?)がたくさんあって、そこに皆で並んで用を足すのだ」という話が、馬鹿にしたニュアンスを込めてよく語られていた。しかし、単なる穴か、陶器製の便座かの違いはあれど、アメリカも似たようなものである。

 近年、急激に近代化を遂げている中国のこと、今ではそんなトイレ、よほど田舎に行かなければ残っていないだろう。でもアメリカには、これからも存在し続けるような気がする。

(2002.12.1)