レジ係の店員は、他の店員と無駄話するのに忙しく、客の方が店員同士の無駄話が終わるのを待たねばならない。やっと終わったと思って話しかけても、客がしゃべっているのを無視したりさえぎったりして無駄話の続きを始める。客が何度も同じことを言わされる。
今は知らないが、かつての日本では誰にも教わらなくても誰もが当たり前だと思っていたことが、ここでは当たり前ではない。客の応対するのが仕事だということを理解できないのか? なんであんたらが無駄話している間の給料まで、値段に上乗せされなきゃならんのだ?!
かと思えば、客の方を一切見ずに、ベルトコンベアの一部に組み込まれた機械のように、ただ商品のバーコードを読ませ続ける店員。前に並んでいた客が商品を残して列を離れた。係がバーコードを読ませる前にそのことを伝えようとしても、こちらが話しかける隙も聞く耳もない。どうりでアメリカ人は皆、声がでかいわけだ。100メートル先の人間にも聞こえるように叫ばなかったら、こいつらには絶対に聞こえない。
おつりの額のキリがよくなるように金を渡すと、間違われる確率が非常に高くなる。あんたが足し算引き算できなくても、もらった額をそのままレジに打ち込めばいいだけなのに、それすらできないヤツがままいる。余分な小銭を渡されるという予備知識がインプットされていないのか、しっかり小銭を受け取っておきながら札でもらった金額だけ打ち込み、レジに表示された間違った額のおつりを渡そうとする。文句を言うとどうしてよいかわからなくなり、頭抱えてパニックに陥る。
かつては地下鉄の入り口にトークン(地下鉄やバス専用のコイン)の自動販売機があった。しかし、プリペイドカードを普及させたい交通局の意向で、しばらく前に全ての自動販売機が撤去されてしまった。今は、トークンを買うにも窓口に並ぶしかない。トークン派だった私も、仕方なくプリペイドカードを使うようになった。
プリペイドカードは、10回分の値段(15ドル)で11回乗れる、といったおまけがつく。また、使用期限内ならカードの残額を足すこともできる。窓口に並ぶ回数を減らすためにもちろん何回分かまとめて足す。「おまけがつくなら」15ドルや30ドルといった額を足そう、と思うのが普通だろう。
ある朝、いつものように残額のなくなったカードと15ドルを窓口係に渡した。直前の客が、買ったカードの残額を残額チェック機で確認する様子をたまたま見ていた。いつもはそんなことしないのだが、この日に限り私も何故かチェックしてみた。ナント、5ドル分しか足されていない。
文句を言うと、係は「5ドルしかもらっていない」。「10ドル札と5ドル札を渡しただろ!」「もらったのは、この5ドルだけ」と思いっきり人を馬鹿にした顔。しばしの無益なやりとり。窓口に貼られている顧客サービスの電話番号とこのおやじの名前を控えるために私が紙とペンを出そうとした頃、こいつはやっと売り上げと手元にある金額を比べ始めた。まだ売り上げの少ない早朝で幸いだった。
「あんたが正しかった」。当たり前だろ! 何が嬉しくて、朝っぱらからそんなくだらんウソついて時間を浪費すると思うんだよ?!
既に5ドル足したカードにさらに10ドル加えたので、まとめて15ドル足した時に付く1回分のおまけは、もちろんつなかい。それについて文句を言う気もすっかり失せ、とにかくさっさと地下鉄に乗った。
客からいくらもらったかすら数えられなくて、お前の仕事は一体何なんだ?! 別にこいつも悪いヤツじゃないんだろう、頭以外は・・・。こいつ個人を怒る気にもならない。ニューヨークの地下鉄というものが、前にも増して死ぬほど嫌いである。できるものなら、一生乗りたくない。
とにかくアメリカでは、可能な限り他人の「世話」にならないのが一番なのだ。自分で運転、給油もセルフサービス、どんなに渋滞したってこれほど腹は立たない。
(1998.11.5)