例えば手元にあるPC WEEKを見てみる。表紙には4つの記事があるが、そのそれぞれが、ひどいときは単語の途中で切れている。そして、14ページに続く、18ページに続く、などと書かれている。さらに、飛んだ先でもまた記事が単語の途中で終わり、54ページに続く、などと書かれていたりする。まるで「全部、読むな!」と言っているようだ。ある記事の続きが読みたくて14ページをめくったとする。次にまた表紙に戻って、今度は18ページ・・・こんなことを繰り返していたら、絶対に見落とす記事がたくさん出てくる。何より本当に読みにくい。
新聞になると、さらに読みにくい。元々アメリカの新聞は、Aが総合、Bが経済/金融・・・などと分冊になっていることが多く、全部目を通すだけでも大変だ。さらに、記事が「続きA-7、参照B-8」などと他の分冊にまで飛んでいた日にゃぁ、どれのどこを読んでいたのか、どこまで目を通したのか、さっぱりわからなくなってくる。
そのせいかどうかわからないが、新聞や雑誌の記事でも、プレスリリースでも、文章の構成がまた特徴的だ。例えば、ひとつの文章で最初Xについて述べ、次にYの説明、Zの話と流れたところで、またXの説明に戻ったりするのだ。とにかく、同じ事柄に関する内容が、何度にも分けてとびとびにだらだらとでてくる。非常にまどろっこしくてわかりにくい。これは筆者によらず、ほとんどの文章がそうだ。ジャーナリズムの学校で習うような、文章の書き方の定石なのだろう。飛んだ先のページを読まない人にも、ある程度の内容がわかるように、という配慮かもしれない。何気なく流し読みしているとあまり気づかないが、抄訳のようなことを仕事で頻繁にしているので妙に気になってしまう。
あるいは、典型的アメリカ人の頭脳構造というか論理の組み立て方が、普通にあっちこっち行ったり来たりするのだろうか? 明快に結論づけられるほどの英語力も、ディベートに代表されるアメリカの理屈のコネ方教育に対する知識もないのが、申し訳ないと同時に残念だ。
周囲の日本人の共通した意見として、「読みにくい」ことだけは確かである。
(1998.2.15)