「浪費は美徳?」

 かつて、アメリカでは「消費は美徳」とされ、節約が不況の原因であると信じられていた時代があったそうだ。消費こそが資本主義を支える、どんどん使え、ということだ。

 確かにそれはそれで一理ある。しかしアメリカの場合、どう考えても浪費なのである。国がでかく資源に恵まれ、生活に最低限必要なものは比較的安い。では実際に消費しているかというと、そのほとんどは無駄に捨られているだけだ。

 日本は紙のリサイクルに関しては世界の優等生だ。古紙の供給過剰で困っているようだが、それだけリサイクルにまわされているとも言える。日本の会社では、片面を使った事務用紙の反対側は社内文書のコピーやメモに使うのが普通だろう。アメリカでは、捨てるのが普通である。試し刷りやメモに使っている私は変わったヤツだ。アメリカの会社では、たかが社内や自分用のメモのために、わざわざ専用の用紙を買う。

 アメリカの会社や家庭の流しに必ず置かれたペーパータオル。なんで洗った手を拭くのに、ハンカチやタオルじゃいけないんだ? ハンカチを使っているアメリカ人を見たことがない(アメリカにいる日本人もそうだが)。個室のドアさえないようなビーチの公衆トイレでも、ロールの芯に盗難防止のチェーンをかけた紙が、ふんだんに供給されている。

 ありとあらゆるところで浪費されるプラスチックの皿やスプーン、フォーク。日本の割り箸が槍玉にあげられていたことがあった。割り箸も使わないに超したことはないが、少なくとも、プラスチックのように燃やせば有毒ガス、自然界では永久に分解しない、なんて問題ははない。

 ゴミにしたって、国土がでかいのをいいことに、ほとんど焼却もせずに埋め立てられている。ビバリーヒルズなどハイソな人の住む地域では、ガラスを色別に分けるほどの分別回収がなされているが、多くの地域では、分別やリサイクルはゴミ箱をあさるホームレスに任されているのが現状だ。マンハッタンでも一応、分類が義務づけられているが、その分類がよくわからない。プラスチックやガラス、金属は全て一緒。紙も全種類、一緒。残りは「その他」で一緒。燃える燃えないの区別もない。おまけにアパートのゴミ箱は道路に置かれているから、通りがかりの人が分類を無視してものを捨てて行く(住人だって、守っていないが)。それを回収車でがばっと集めて、本当にリサイクルなんか、してるんかい?

 通販のカタログで、マグネットの薄いシートがよく売られている。エアコンの吹き出し口の格子状の金属にくっつけて、風が出るのを防ぐ。てっきり私のような冷房大嫌い人間のための製品だと思っていた。ある日、説明をよく読んだら、不要な場所でエアコンの空気が出るのを防ぎ、電気代を節約すると書いてあった。中の機械は動作しているのに、吹き出し口だけ塞いだって節約になんかなるのか? 機械が壊れるんじゃないか? という疑問もある。しかし問題は、1ケ所でスイッチを入れたら、例え何部屋あろうと人がいようといまいと全室にエアコンが入る、という、アメリカの多くの家の構造にあるのだ。本当にふざけている。

 食べ物を平気で捨てるのは、先進国共通の問題だ。アメリカの場合、レストランなどで出てくる量がとにかく多い。食べきれない人がほとんどだとわかっているのなら、量を減らして値段を下げろよ。量を減らしたところで手間暇は一緒、だったら量を増やして安く見せよう、ということか。確かに残り物を持って帰る人は多いが、本当に家で食べているか、冷蔵庫で腐って結局捨てていないか、疑問だ。それに、持ち帰りのための包装がゴミになる。食べきれる量だけ出すのが一番にきまっている。

 量が多けりゃいい、というのは、スーパーの値札の付け方にも現れている。人目を惹きたい場合、「3個でいくら」などと、必ず何個かまとめた値札がついている。日本でこういった広告を出した場合、1個で買うと割高になるのが普通だ。しかしアメリカでは、バラで買っても1個あたりの値段は同じだ。

 他方、アメリカでは家電やAV機器などの新しい技術は全く普及しない。でかけりゃいいと思っているのか、軽薄短小モノは特に普及しない。日本では、誰もがすぐに最新の商品に飛びつき、高いものからよく売れる。日本の消費行動の賛否はともかく、これこそ資本主義を支える消費だ。アメリカのは、ただの浪費じゃないか!

(原文:97/10/14 加筆訂正:98/11)