アントニオ猪木

 一体これはどこにアップするのが適切なのだろうかと、かなり考えた。やっぱり心ゆくまで「猪木賛歌」を書けるのはプロレスコーナーか。「独り言」に書いた方が読む人は多いのだろう。で、中間を取って(?)「無駄話」・・・

 しつこいようだが、私は「猪木信者」だ。猪木のすべてを崇拝する。そんな「神」にも等しいような方にインタビューする機会を得た。・・・というか、強引にもぎとった。さらにその内容を記事にして、多くの読者に知らせることができる。こんな幸せがあろうか。

 考えてみりゃ、ホームページなんて無力なもんだ。「在米日本人」という超ニッチ市場向けのうちの雑誌でさえ、発行部数は7万近い。せいぜい月の表紙へのアクセスが6000程度のこのホームページと比べ、桁違いに多くの人の目に触れる媒体に猪木さんのことを書ける。

 でもって、あまりに自分にプレッシャーをかけすぎて、あまりに肩に力が入りすぎて、なかなか書き出せなかった。目標は、プロレスに興味がない人も楽しく読めて、読み終わった時に「へぇ〜、猪木ってこんなこともしてたんだ」「猪木って、こんな人だったんだ」って、少しでも読者の「猪木評」が良くなるような、そんな文章。

 インタビューを録音したMDを暗唱するほど何度も聞き返し、事実関係を確認する過程で、資料を読みふけったり過去の事実に改めて感動したり、何度も筆が止まる。思い入れを込めたいけど、書き手が独りで感動してると読む方は白けるから、可能な限り淡々と・・・。当初2ページの記事の予定だった。すっかり長くなってしまって、しかし自分ではとても削れない。

 猪木さんの一言一言が、私には本当によくわかる。それをそのまま載せても読者は理解できない。普通の会話の中で、考え抜いた文書のように順序立ててわかりやすく話す人など誰もいない。可能な限り猪木さんの言葉を残したい気持ちと、説明しなければならない、変更を加えなければならないことへの苦悶。

 この文章をプロレスに興味がない人が読むと一体どう感じるのか、緊張する。自分だけ感動しても他人が読んで面白くなければ意味がないから、文章の削除を社長に一任。めでたくページの方が増えることになる。第一関門突破。

 当然、社長なり他の編集者なりの校正が入る。猪木信者である自分の思い入れと、一般的な「いい文章」「定石」との葛藤。ぎりぎりのところで妥協し、それでも「ここだけは譲れない」一部は社長校正もはねる。読む方はそんなに深く考えないこと、わかってる。私だって、余程気になる内容でない限り、雑誌の記事なんて普段は軽く読み流す。

 ようやく形になった記事。結局、たいして良いセリフも浮かばなかった結びの言葉。果たして本人が気に入ってくれるのだろうかという不安。実際、あれだけの有名人がうちのごときマイナー雑誌の記事の内容をそんなに気にするはずもないのだが、それでも悪いよりはいい印象を持ってくれたらいいなぁ、と。

 猪木さんは本当に素敵な人だ。今までお会いした人の中で、一番素敵な人だ。お会いして以来、私の「猪木信者度」は大きく跳ね上がった。平たい表現だが、「少年の心を持った」というのは猪木さんのためにあるような言葉だ。損か得か、金がかかるかどうか、そんなことは彼にはまったく関係ない。ましてや金が儲かるかどうかなんて考えたこともない。自分がやりたいことをやる、自分にしかできないことをやる。実現の可能性うんぬんではなく、ただ何かに突き動かされるようにやる。

 周りにいる者にとっては、たまらないこともあるかもしれない。皆それぞれの生活があるのだから、腹が立つこともあるかもしれない。

 猪木さん自身がうまく言葉にできない思い。私には涙が出るほどよくわかる。でも、私もうまく言葉にできない。やっぱり、いいスポークスマンになれなかったような気がする。

 無理矢理、つまらない言葉にする努力をしてみる。理想に燃えるジャーナリスト、正義感に燃える弁護士、そんなものに似ている。夢だけでは成功できない。ジャーナリストや弁護士だって、要領いい奴の方が成功する場合が多い。だけど、そんなんじゃなくて、内側から湧き上がる思い、誰に対してでもなく自分に対する使命感。告発報道をしたために脅迫を受け、時には命を落とす多くのジャーナリストのような。

 猪木さんだって、昔から多くを考えていた訳ではないだろう。プロレスは彼のひとつの天職であった。例え要領が悪くても、プロレスの世界では「実力」と「カリスマ性」だけで十分にスターになれた。

 夢を形にしようと入った政治の世界は、根回しやコネや要領が全てで、彼の価値観とは到底相容れない場所だった。それでも「政治の世界では非常識」なことを、果敢に行動に移してきた。他の誰がイラクに行って人質を解放できたのだ。他のどの政治家が、カンボジアの地雷が埋め込まれた地区まで視察に行ったのだ。カストロに会えるのだ。北朝鮮で38万人もの観衆を集められるのだ。

 こんな凄い行動力の人が評価されない(2度目の参院選で落選)日本という国が、全く理解できない。こんなに純粋な人なのに、有名税とは言え、イエロージャーナリズムの格好のバッシングの対象になってばかり。94年の秋にロサンゼルスに来た彼は、小規模な講演会で「本当にぶっ殺してやろうかと思った」と、日本では恐らく言う場所を持たなかった心の底から湧き起こる怒りをぶちまけていた。そのあまりにもストレートな物言いから、「心から純粋な気持ちで政界に入ったのに、本当に悔しい」という気持ちが痛いほど伝わってきた。初めて間近に見た猪木さんの言葉に、以前にも増して「なんと素敵な人だろう」と思った。

 日本ではよくも悪くも目立ちすぎてしまうから、ロサンゼルスで誰からも干渉されずにのんびり過ごすのは、それこそ何十年ぶりの安らぎだろう。そんな時間を送れるのは落選のお陰でもあり、しかしまた、当選していたらやりたいこともあったろう。

 例えば私はスタローンのファンだが、映画の中の彼が好きなだけだ。実際の彼が鷹派の愛国主義者だろうと関係ない。同様に中島みゆきも歌が好きなだけだ。しかし、アントニオ猪木の全てを、リングの上のカリスマ猪木も、つまらぬ駄洒落を言う気さくな猪木も、政治家猪木も、純粋で要領の悪い猪木も、怒る猪木も、子どものように楽しそうな猪木も、人間猪木の全てを永遠に愛している。

 ・・・結局ここでも、あんまり気の利いた結びの言葉は出てこないのである。しかし「死ぬまで絶対猪木主義宣言」だけはしておこう。

(1998.12.13)

インタビュー記事

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