貧困なる精神  本多勝一

かつて「ゴルフ」などという公害スポーツが流行したものだ

 ボーリングも玉突き(ビリヤード)もゴルフも野球もラグビーも卓球(ピンポン)もバスケットボールも蹴球(フットボール)もバレーボールも庭球(テニス)も、それぞれ一応はやったことがある。これらすべては球技だが、ひとつには球を扱う遊びに不器用な私が適さないこともあって、結局はひたすら山スキーや山登りにのめりこんでいった。

 右に挙げた球技のなかで、今や人類最大の課題となった「地球環境」に最も問題のあるものは何かといえば、ダントツでゴルフだろう。これはもはや、ゴルフの好き嫌いに関係なく、論議の余地がないと断定してもかまわないと思う。今では飛行機に乗ったことのない人は珍しいくらいだから、空からみる日本列島がゴルフ場とスキー場でどんなアバタになっているか、多くの日本人が知っているはずである。(念のためだが、スキーに必ずしもゲレンデは必要ない。山は自然のままですべてスキー場なのだから。)

 ゴルフ場が物理的あるいは科学的にどれほど生態系を破壊しているかとか、生活環境をどれほど汚染しているか、あるいはゴルフ場の「緑」などは完全なニセ自然であること ― などについては、もう多くの人々によって指摘され、論じられているので、ここではくりかえさない。あとは「どうしたらこの有害スポーツ・公害スポーツを追放あるいは消滅できるか」であろう。

 「追放」といっても、あまりに強制をともなう方法はのぞましくない。一番いいのは、こんな公害スポーツをやっている当人が恥ずかしくなるような社会的常識が育つことではなかろうか。電車の中で、年寄りか病人を目の前にして平然と座席をゆずらぬ若者がいれば、彼に注がれる視線は冷たいものになるだろう。あれと同じように、ゴルフ道具なんか肩身がせまくて公然と持ち歩けないような空気、禁煙車でタバコを吸っているかのようにみっともないスポーツ、繁華街で立ち小便をしているような下品な遊び、無教養で野蛮な人間にふさわしい下等なスポーツ。……そんなふうな目でみられるようになれば、ゴルフ熱も急速に衰亡し、会員権のごとき馬鹿馬鹿しいアブク資産も暴落し、ゴルフ場経営もなりたたなくなるだろう。

 ああ、またもや私を憎み嫌う人々をふやしてしまった。私の友人や隣近所にも、ゴルフをやっている例が少なくない。なにしろ「いまや日本は世界最大のゴルフ大国」になり、ゴルフ人口は「全人口の10.6%で、米国の8.5%をひきはなし第一位。成人四人に一人がゴルフをやっている」のだから。

 右に引用したのは、今月(転載者注:94年3月)21日に東京で開かれる「ノーゴルフ国際フォーラム '94」のための「通信1=2月18日号」の冒頭からである。日本のゴルフ人口がアメリカ合州国「以上」になったということは、もう無茶苦茶な異常現象であって、ここにも私のいう日本のメダカ社会ぶりがよく現れている。

 というのは、合州国の広さや人口密度・自然条件などを考えるとき、ゴルフ場による日本の自然破壊ぶりは合州国の何百倍になるのか見当もつかぬほどの規模と思われるからである。このメダカ社会では、ちょっと流行が始まるとドシャ降り的に広がり、ゴルフ場に適さない地理条件が多い日本でさえ、ごらんのような有様となってしまった。

 地理的条件によっては、ゴルフが全く無害な地域も少なくない。私が学生のころ初めてゴルフを覚えたのは、パキスタンのカラチ郊外にあるゴルフ場だった。平らなサバクや草原であれば、「造成」して「開発」する必要など最初からないのだ。したがってパキスタンやイランやイラクやアラビアやエジプトやリビアやモンゴルやメキシコやアルゼンチンやウイグル(中国)やオーストラリアやアルジェリアやタンガニイカやアフガニスタンや合州国のかなりの地域や……等々では、ゴルフ場にしてもいい所がいくらでもある。ゴルフというスポーツ自体に責任はない。(といっても、あれはスポーツとして二流以下に属すると私はみているけれど。)

 しかし日本では、世界でも稀に美しくかつ恵まれた自然のこの日本では、ゴルフは破壊的であり、許しがたい公害スポーツとならざるをえない。それでも何でも、メダカ的に「成人四人に一人」と増殖してしまったこのかなしい民族に対しては、例によって「外圧」でしか進路を変更させることができないのだろうか。自浄能力も復元力も弱いのでは、「地球」のためにそれも仕方がないことかもしれない。

 冒頭で球技の種類をいくつか挙げたが、この中でたとえばボーリングは、ひところ大流行したが今ではすっかりさびれた。全国津々浦々にできたボーリング場の大半は倒産または転業した。もっと古い例では、戦前のある時期に大盛況だった玉突きも、似たような運命をたどった。

 ゴルフもまた、これらと同じ運命にしてしまおうではないか。フラフープなみに消滅させてしまおうではないか。公害のなかったスポーツでも消えていったのだ。いわんやゴルフなど、恥ずべき公害スポーツとして思い出の時代の中へ埋没させてゆこうではないか。広大なゴルフ場は、その地域の固有種を中心に植林し、広葉樹優先の雑木林にもどして、ニセ自然ならぬ本当の「緑」にしよう。針葉樹の人工林などには決してしてはなるまい。かくも破壊してしまった「わが祖国」の日本列島を、次の世代にこのまま渡さずに、その破壊した私たちの世代が復元した上で渡したいものである。

 そのためにも、「外圧」であれ「内圧」であれ、可能な方法は何でもとってゆく必要がある。前述の「ノーゴルフ国際フォーラム '94」への参加は、海外との連携をすすめる点で「外圧」を上げるにちがいない。

(フォーラムの詳細は過去の内容であるため、転載者により省略。恒常性を持つと思われる趣旨の一つのみ以下に転載)

[趣旨]
 リゾート・ゴルフ場開発は、ここのところ一時の勢いを失ったかに見えます。しかし、日本企業のゴルフ・リゾート開発の矛先は、すでに数年前からアジア太平洋をはじめとする海外へも向けられ、現在、日本企業の海外ゴルフ場は、営業中のものが約200カ所、建設中は約50カ所、計画中のものは数百カ所にも達し、タイ、マレーシア、ハワイ、中南米、ヨーロッパ……と全世界に広がっています。そして、開発現地でさまざまな問題をひき起こしているのです。その一方で、毎年たくさんの日本人が海外でゴルフに興じ、その数は毎年増加の一途をたどっています。

週刊金曜日 編集部 03-3221-8521
1994年3月11日号(通刊17号)より、許可を得て転載。

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