監督:森達也
「A」では、オウム幹部の中でも純朴そうな荒木という男に焦点を当てている。この荒木という童貞男、上祐のようにすれた風ではなく、なんとなく可愛くて母性本能をくすぐる感じだ。破防法反対運動をしているこれまたもてなさそうな女性から「荒木さん個人を応援してます」などと言われて照れたりする。この荒木に焦点を当てたお陰で、全体になんとなく無垢な印象を受ける。
A2の冒頭では、この荒木も一転、くたびれたおっさんになっていて、オウムを取り巻く状況の大きな変化を感じさせる。
右翼と警察のどっちもどっちのやり合いは笑える。どっちも負けろ!というか、どっちもやられろ!というか・・・
ただただ「オウムは出ていけ」と叫ぶ各地の住民に対して、「出ていったところで、また行った先で同じことが起こる」と語る右翼幹部。「オウムは解散しろ」「被害者に賠償しろ」と叫ぶ右翼のデモのほうが、ただ出ていけと叫ぶ住民のデモより理性的だったり、それでも解散したら誰が賠償するんだよ?と突っ込みたくなったり・・・
一方、オウムを見張っていたはずの住民たちが、信者とすっかり仲良しになっていたりもする不思議。
松本サリン事件で犯人扱いされ、妻を植物人間にされた挙げ句に殺された河野さんという方は、どうしてあんなに人間ができているのか・・・。一方、ろくな準備もせずにのこのこと河野さん宅に出向いていった礼儀知らずなオウムの幹部どもは、ボコボコにしてやりたいほどムカつく。
全編を通じて、オウムの一般信者の無害さが淡々と描かれている。監督は特にオウムの味方でも敵でもなく、ただ事実を撮影している。破防法の危なさは分かる。警察やマスコミのでたらめさも十分に承知している。「オウムだからいいや」と静観していると、いつ自分の身に降りかかってくるか分からない。
・・・それにしても、だ!
これを見たところでオウムに対する嫌悪感は何も変わらないし、麻原がまだ生きていることに深い憤りを覚える。どんな宗教でも盲信している連中には吐き気を覚える。
鑑賞日:2009年2月4・6日
製作:1998年/2001年・日本