2002年大晦日の紅白に中島みゆきが出場した時の映像を友人が録画してくれたものを、最近見た。そもそも、彼女がテレビで歌っている映像って、今まであったのだろうか? 「ザ・ベストテン」という歌のランキング番組が大人気だった頃、何組かのニューミュージック(死語)系の歌手が「テレビには出ません」と宣言しており、彼女もその中の1人だった。それぞれに方針なり考えがあっての出場拒否だったのだろうが、なんとなく当時はそんな「つっぱり」が一種のステータスだったような気もする。
ただ中島みゆきの場合、「テレビに出るために化粧をしなければならないのが嫌だ」「肌が弱く、テレビに出るために化粧をしたら肌が荒れて大変だったことがある」というようなことをどこかで語っていた。それが言い訳だったのか、当時は真実だったのか、よくわからないが、後年、かなり濃い目の化粧でビールのコマーシャルに出ていたんだけど・・・
とにかく、私は彼女がテレビで歌っている姿を見るのは初めてだった。さらに、映像でも静止画でも、近年の彼女の姿を見ること自体が非常に久しぶりだった。渡米以来、せいぜいCDのジャケット写真を見るくらいだったから。
なんだかすごく感動した。うまく言えないけど、中島みゆきがそこで歌っている、という事実に感動した。50とは思えない変わらぬ姿にも感動した。さらに、彼女の姿に(勝手に)自分の歴史を重ねて見ていたのだと思う。単純に懐かしいというのではなく、胸にぐっとくるものがあった。
神々しかったとか、格好良かったとか、素敵だったとか、いろいろ言い方はあるだろうけど、一言。「ああなりたいと思った」
(2003.2.9)
私は中島みゆきが好きだ。最初に彼女の曲を知ったのは中学生の頃。ラジオから流れてきた曲は「時代」、確か翌日すぐさまレコード屋に行ってシングル版を買った。
当時の中学生の定番であった深夜放送。週に4日くらいは好きなDJが登場する番組があり、自室で物音を立てぬようにイヤホンで聴いたり、ラジカセとステレオで1時間ずつタイマー録音をセットして、翌日聴いたりしていた。2時間放送、1本のテープじゃ入らないから (^^ゞ...
オールナイト・ニッポンの月曜深夜第一部といえば、もちろん彼女のDJ。これは絶対に生で聴いていた。翌日は前夜の放送内容がクラスの話題に出たし・・・。当時は人並みに、話題に遅れまいとするガキだったのだ。
最も彼女に傾倒していたのは高校時代。特に3年生の頃。3学期になれば受験時期で授業はほとんどないし、東京はやたらと雪の多い冬だった。家に閉じこめられて、レンタル・レコードから録音した彼女のテープをひたすら聴きまくっていた。大学に入って少しだけバンドをやってみた時、仲間に「好きな音楽は?」と聞かれ、「中島みゆきとヘビメタ」と答えていた。
時は流れ・・・この夏休みに日本で買ってきた中島みゆきのCD-ROM「なみろむ」。「わかっている人が作っている」というレビューをどこかで読んで、どんなに時間がなくてもこれだけは買って来ようと思っていた。
夏休み後、なんだか忙しくてずっと見られずにいた「なみろむ」、3週間後にやっと再生の機会がやってきた。
最初、どうして自分の名前や誕生日を入力するのだろうと思った。しかし、その謎はすぐに解けた。彼女のデビューから、当時の曲をBGMにカレンダーを繰るように彼女の年譜を開いてゆく。その同じスクリーンに自分の名前とその時の年齢が表示されるのだ。これは、すごい企画だ。人の思い出というのは、当時流れていた曲や好きだった曲と大きく結びついている。この企画を思いついた人を尊敬する。
「何故にそこまで」というほど傷ついた歌を出し続けていた彼女と、自分の時代がだぶる。確固たる信念も、自分に対する絶対の自信も、まだなく、自分がこんな偉そうなヤツになるとも知らなかった頃の自分。彼女の曲を聴きながら、時には自分に酔い、時には自分を卑下しながら、いつの間にか大人になっていた。
押し寄せてくる思い出に、涙が出そうになる。彼女は明らかに、単なる流行歌手ではなく、人の心に深く入り込む歌い手だった。サザンを聴いたところで、懐かしいとは思っても、当時の情景が目に浮かんでも、私には涙は流せない。私にとっての中島みゆきは、かつて絶対の存在だった。
彼女の曲、彼女の写真、イメージカットと共に年譜を繰っていく。次々と表示されるカレンダーに自分の記憶が重なる。最初は本当に幼かった自分の年齢が、どんどん進んでいくのがたまらない。その時々の悩み、苦しみ、迷い、いろいろな想いが蘇る。彼女の言葉は、なんと私の心に深く入り込んでいるのだろう。
私にとって彼女の詩は、人生普遍の真理である。例え恋愛を歌っていても、そこにあるのは恋愛だけではない。人生のさまざまな場面で感じる歓びや悲しみ、寂しさ、孤独、愛情。彼女の曲の根底に共通して流れているのは、物質的、精神的を問わず、帰る場所を持たない者の心だ。私が大人になる過程において、彼女の歌は私の心の大きな場所を占めていた。影響を受けたというのとはちょっと違う。何かこう、見守ってくれたというか、励ましてくれたというか・・・。「お前はお前の人生を生きろ」と、「自分で考えて信じる道を進んでゆけ」と、どこかから聞こえるそんな声に常に張りつめて生きてきた私に、ちょっとした寄り道の場を、休息の時を、わずかな安息の時間を与えてくれた。迷い苦しい時に欲しいのは、「負けるな」「がんばれ」などという叱咤激励ではない。「ちょっと一服しなよ」「悲しくても構わない、自信を失う時なんて誰にでもある」という許容だ。他人に頼ることを潔しとしない私にとって、彼女の歌はまさにそれであった。
もちろん大人になってからも、突然彼女の曲が聴きたくなることは多い。思い出したように聴くと、必ず安らぎを覚える。その時々に聴きたい曲を、彼女はちゃんと用意してくれている。
同じ曲を聴いてどう感じるかなんて、その人次第である。別に他人が彼女について何と思おうと、どうでもいいのである。私にとって彼女の声は、絶対なのだから。
私は猪木信者でもあるが、彼の書いた本や彼に関する書籍をほとんど読んだことがない。同様、中島みゆきの本も読んだことがない(この辺、妙なところで面倒くさがりとか、時間がないなどといった要素も多分にあるのだが)。その人の全てを自分のものにしたい信者もいれば、私のように「試合」やら「曲」が良ければそれでいい、という信者もいたりする。
現実の彼女がどんな人でも関係ない。彼女の職業は歌手であり、作詞作曲家である。歌詞からは想像もつかない生活をしている人だったとしても、彼女の詩は、彼女の歌声は私の心に響く。
例え自分の好みからは外れるとしても、彼女の才能にケチをつけるヤツはいないだろう。彼女は最高の職人であり、天才なのだ。
(1998.9.13)
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