おねえちゃんの行動学
その2 過去の他人に自慢できる(?)行動
- かなり頻繁にロックアウトしてしまう。つまり、家や車の中に鍵を残したまま、ロックしてしまう。ロサンゼルスで最初に住んだアパートでも、ニューヨークから戻って来て住んでいるアパートでも、やってしまった・・・。前者では、夜中の2時過ぎに申し訳ないと思いつつも管理人をたたき起こして鍵を開けてもらったこともある。マンハッタンに住んでいた3年間、管理人がいないアパートで大家も近くにいないという緊張感からか、一度もロックアウトしなかったのが不思議なくらいである。
車のロックアウトは、自分の会社や家、友人宅の近くでやった場合、大した問題ではない。針金のハンガーとか、それに類するものを使えば(少なくとも私が今まで乗ってきた旧式の車のドアは)すぐに開けられる。しかし一度(日本時代)、会社の車で取引先に行った際、やってしまったことがある。この時はエンジンまでかけっぱなしでロックしてしまい、我ながら呆れた。さすがに取引先に「針金のハンガー貸して」とも言えず、時間は夜の8時を過ぎていて自分の会社に誰もいないこともわかっている。おまけに私はなんと財布を持っていなかった。当時は携帯電話なんて持っていないから、公衆電話から誰かに助けを求めなければならないのに・・・。四谷駅前の交番で「電話貸してください」と言ったら、警察の電話は使わせられないから、と20円くらい渡されたような気がする。
細かいいきさつは忘れたが、まあとにかくしばしの後に、うちの会社と駐車場を共有している会社の社長がスペアキーを持って来てくれた。エンジンかけっぱなしなのを見て、かなり呆れられた。ガソリン残量もあまり多くなかったし、ガス欠になる前にお迎えが来て、ホントに助かった。
ここまで重症なロックアウトは、後にも先にもこの時だけである・・・
- その昔、まだ中型バイクに乗っていた頃、友人たちと江ノ島に初日の出ツーリングに行った。当然、大晦日から寝ていないので、日がすっかり昇った帰り道には眠気が襲ってくる。渋滞した道をすり抜けながら走っているうちに、フト意識が・・・。はっ、と気付いたら前の車が止まっていた。とっさに左に避けたところに前を走っていた友人のバイクがあった。うまく車とバイクの間をすり抜けた・・・と思ったら、私の左足が友人のバイクの右ステップに蹴りを入れていた。ステップは見事に折れてしまったが、ステップより丈夫な私の足の甲にはあざ1つできなかった (^^ゞ...
- 学生時代、有鉛ハイオク仕様のS30に乗っていた時期があった。当時でも有鉛があるGSは少なかったし、金もないので給油には苦労していた。ある日、例によってカスカスで環八を走っていて、見事にガス欠した。おりしも環八は大渋滞。左手ハンドル、右手窓枠で車を押しながら歩いていても、しっかり流れに乗れていた(^^ゞ...。通りがかった原チャリのにいちゃんが、道が広くなったところで車を端に寄せるのを手伝ってくれた。しかし! 給油しようにも金がなかった。見ず知らずの彼に「すいません、ガソリン代貸してください」(ポリタンとポンプは、常に車に積んでいた)。親切なにいちゃんに2000円借り、家まで車を押して帰らずに済んだ。
2000円は、郵送でちゃんと返したよ (^^;...
- かつて、綱島街道のあるGSを愛用していた。残量が危なそうな時も、意地でそこで給油していた(単にそこが安かった (_ _;;;...)。ある初夏の日、ついに丸子橋までも持たず、多摩堤でガス欠してしまった(またかい・・・)。とりあえず、狭い道路の端に可能な限りS130を寄せ、通り過ぎる車を眺める。若い男が独りで乗っている車を発見。「あの〜、ガス欠しちゃったんですけど、GSまで乗せてって頂けませんか?」
彼もさぞや驚いたに違いない。いかにも夏!という派手な格好のねえちゃんが、ポリタン持って話しかけてくるなんて・・・(地味な格好のおっちゃんでも、そんな状況でポリタン持って話しかけてきたら驚くっつぅ〜の)。後に彼が友人に「今日、すごいもん見ちゃったよぉ〜」と報告したことに疑いの余地はない。
- 大型二輪の試験、5回で受かったもんね〜。でも、今じゃ、そんなものはないとか。教習所で取れるようになったとか。ナンデそんなものを取る気になったか・・・? 普通と中型の免許を持っていた時に免許取り消しになった → 再び教習所に通う気は毛頭ない → 試験場で受けるなら、中型も大型も一緒さっ♪
- 五大陸、全部、行った。(南極に行く予定はなし)
- 中学時代、シェーキーズのランチタイム食べ放題でピザを24片食べた。これより多く食べた、という人の話を聞いたことがない。
- フリーフォールに何回でも乗れる。三半器官のないヤツと言われている。
最終更新日:2002.9.1